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あまりに鮮明だと、直視できないから

 満開の桜の中を、引越しの準備に明け暮れた。長いこと一人暮らしを謳歌しており、結婚を決めても、甘美な感情だけに浸れるほど若くなかった。久しぶりの他人との共同生活に、不安もあった新しい旅立ちを、暖かい春の日差しが後押ししてくれていた。

 一人で暮らしたワンルームマンションのエントランスは涼しくて、野良猫たちがよくオートロック扉の内側に入りこんで昼寝をしていた。引越し前夜、珍しく4匹も集っていて、扉のガラス越しに目が合っても逃げず、記念撮影を許してくれた。「お前もいろいろあるだろうけど、まあ頑張れよ」と言うかのように。

 ガラケーで撮った画素数の低い、粗い写真を見ながら「あれから、たしかにいろいろあったな」と思い出す。でも、人間の脳の作用はありがたい。過去の記憶があいまいに、不鮮明になることで、今を生きていける部分がある。直視できないくらいのまぶしい思い出は、画素数を落として心に保存していく。