2022/09/08;

幼稚園、小学校、中学校と仲良くしていた友人が、2年前に亡くなったらしい。私は2年前から、彼のいなくなった世界を生きていたのだ。世界をひっくり返された気がして、呆然としてしまった。

幼稚園の頃、毎日彼の家に遊びに行った。「友達と遊ぶこと」を初めて教えてくれたのは彼だった。彼の家ではおばあちゃんが農業を営んでおり、それがとても新鮮だった。おばあちゃんは気のいい人で、時々私たちを軽トラの荷台に乗せて、蜜柑畑に連れて行ってくれた。他にも人力の精米器を一緒に回したことや、天日干しされた大量の「ゆかり」の間を縫って駆けたこと。離れにある涼し気な庵と、そこでこっそり飲んだチオビタドリンクの味。あの場でしか過ごせなかった時間を、今でも覚えている。

死は、生きている限り絶対に越えられない境界だ。私と彼との間に生と死という絶対的な隔たりが生まれてしまった今、思い出の中の無邪気な2人が突然に色褪せて見える。再会すれば、あんなことしたね懐かしいねと笑い合えたはずの記憶が、いつのまにか、他人の思い出をテレビで見るように冷めてしまっている。

これは私のエゴなのかも知れないが、どうか生きていてくれよと思ってしまう。辛い出来事があったのか、重大な事故に遭ったのか、彼の身に何があったのかは分からないのだが、どうか生きていてくれたら…。君がどこかで生きている、それだけで救われる気持ちがあるのだから…。

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