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『友達100人切れるかな』一番心地よくて強い毒に冒される前に切りたい縁
友達は何歳になってもできるのだと、大人になった今思う。それと同時に、交友関係に関する悩みはいくつになっても尽きない。
どんなに昔から仲が良くてもライフスタイルが変われば、話が合わなくなることは当然あるだろう。けれど、それ以上に「こんな人だったかな?」と思わず目を疑うような出来事に遭遇することがたまにある。
だけど、それが付き合いの長い友人であればあるほど、楽しかった思い出と共にその人の良い面ばかりが蘇ってしまい、気にしすぎかなと受け流してしまうことが多い。
友達は切って良い
「友達」って言葉の強さたるや...。その言葉は「友達なんだから」という言い訳に変わり、自分の中で納得の行かないことが起きても黙って言いくるめられてしまう不思議な力を持っている。
友達は大切にするもの。それが常識だと言わんばかりに浸透しているこの言葉を真っ向から否定するようなマンガがあった。
それが、宮部サチ先生の『友達100人切れるかな』だ。
マウンティングする友達、群れたがる友達、SNS依存で目の前にいる人の話を聞かない友人...。最初は仲が良かったはずなのに気付いたら自分の頭を悩ませている友人たちから逃れる方法を人間研究科・有馬亜土が指南するという物語だ。
頭を悩ませる友人の具体例があまりにも現代的なので、思わずあるあると頷いてしまう方も多いのではないだろうか。
『友達100人切れるかな』を読むとすっきりするのはもちろん、ロジカルに相手を分析してその対処方法を指南してくれるので非常に学びの多い一冊となっている。
切れないのは相手か自分か
この作品を通して学んだことが大きく分けて2つある。
それは、友達は切って良いということ。当たり前のことだが、冒頭で話した通り付き合いが長くなればなるほど、良かった時のことを思い出してしまい具体的な行動を取ることができない。そんな曖昧な自分に背中を押してくれるのが本作だ。
「切る」は仰々しい表現かもしれないが、自分の心が擦り減るような相手であるならばその時点で"今"は友達ではない。だけど一時的に関係性を断って距離を置くことで、また「友達」に戻れる日が来るかもしれない。そんな希望も感じさせてくれるストーリーの数々も本作の魅力だ。
もう1つは、友人を通して「自分」を改めて見つめ直すことだ。
9話でSNS依存症の友人を持つ女性が登場する。彼女は、SNS依存症の友人に嫌気がさしていても「友達なんだから自分が彼女を変えてあげないと」と交友関係を続けようとするのだ。
それに対して人間研究科・有馬亜土は「友人はそんなことを望んでいないだろうし、あなたの友人への依存心に問題がある」と指摘する。
結果的に彼女とその友人がどうなったのかは、ぜひ本作を確かめて欲しいのだが、自分自身が勝手に「友人」という言葉に囚われて相手に執着していることってあるのかもしれない。結果、勝手にその友人に裏切られたと感じて傷つくという負のスパイラル...。
友人に対して不信感を感じたならば、改めて自分を見つめ直し、どうしたいのかを明確にさせることが一番大事なのかもしれない。
一番心地よくて強い毒に冒される前に
とは言っても昔からの友達ってやはり良いものだ。かけがえのない思い出の共有者でもあるし、言わなくても通じ合える「あうんの呼吸」なんてものもあるからだ。
でもその関係性の心地よさにに浸かり続けていると、取り返しのつかない強い毒で自分はもちろん結果的に相手を傷つけてしまうかもしれない。
直接と人と会う機会が減少した結果、やたらと「繋がる」ことばかり打ち出されている今だけど、反対に今こそ切って良い縁もあるのだと思う、一番心地よくて強い毒に冒される前に。