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10年ぶりに息を切らしながら本屋に走った

冗談なんかじゃなく、息を切らしながら本屋に走ったのは10年ぶりだった。

以前「#私を構成する5つのマンガ」というお題企画で荒川弘先生の『鋼の錬金術師』が自分にとっていかに大切な存在、いや作品だったのかを語ったことがある。

思春期ならではのしがらみに苦しむ当時の私を救ってくれたのは、間違いなく『鋼の錬金術師』だったし、この作品があったからこそ、どんなに辛くて一人ぼっちの時でも全く寂しくなかった。

そんな『鋼の錬金術師』を始めとする5つのマンガについて語った「自分のストーリーを生きようと思った時、私を支えるのは5つのマンガたちだった。」では、鋼の錬金術師』の最終話が掲載された少年ガンガン7月号を買いに行った時の話を書いている。

2010年のあの夏、私は大学生1年生だった。大学の講義を途中で抜けて少年ガンガン7月号を買いに走った。そのまま家に帰宅してリビングに座り込み食い入るように読んでしまった。

あの時の暑さや、息を切らしながら本屋まで走って買いに行ったあの日のことを今でもありありと思い出すことができる。

そして、その10年後。私はまた同じ本屋に向かって息を切らしながら荒川弘先生の作品を買いに走っているとは思わなかった。

10年ぶりに復活した、荒川弘先生 幻の読み切り作品

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1月19日に発売された「サンデーGX」2月号には、荒川弘先生の読み切り作品の新作が掲載されている。

その名も『RAIDEN-18』。2005年の8月号に初登場して本作が、10年ぶりに新作を引っさげてカムバックしたということで大きな注目を集めている。

マッドサイエンティストのタチバナ博士が、死体のパーツを組み合わせて人造人間「雷電18号」を生み出すという物語で、タチバナ博士と雷電18号が繰り広げるシュールなギャグが魅力的なブラックコメディだ。

『鋼の錬金術師』と打って変わり、思い切りギャグに振った作品ではあるが、あのキャラクターがディフォルメ化された大袈裟なパンチのシーンは健在だし、時折描かれるバトルシーンには思わず目を奪われてしまうほどの迫力がある。

...死体のパーツを組み合わせたり、墓を掘り返したり、カジュアルに死者への冒涜を行うシーンが多い『RAIDEN-18』。命の尊さや等しさを問う『鋼の錬金術師』とあまりにも真逆すぎて、荒川弘先生のファンとしては一瞬不安になるのだが、私はこのタイミングで『RAIDEN-18』の新作が公開されたことがとても嬉しかった。

昨年から続くこの未曾有の世界的混乱、そして「死」をより身近に感じるようになってしまった今。人との繋がりや愛...そんな綺麗なメッセージ性があるものたちから、不思議なバイアスを感じることが個人的に多かった。もちろんそれらにも魅力はあるし、救われていることもあるのだが『RAIDEN-18』の清々しいまでのブラックジョークを読んだ時に、すごく安心した自分がいたのだ。

2005年8月号に初登場した時と「変わらない」勢いと、一ミリも自粛を感じさせない作品のスタンスが、今の私にとってはすごく嬉しかったし安心感を覚えた。

息を切らして本屋に走ったのは

そんな『RAIDEN-18』のあらすじや見どころを、マンガ情報サービス「アル」で記事にするべく、いち早く本作を手に入れて読み込む必要があった。

発売日当日の朝。絶賛テレワーク中の私は10時からの始業に間に合うように、全速力で家の近くの本屋まで走った。

10年前に『鋼の錬金術師』の最終話が掲載された少年ガンガン7月号を買いに行くために走った道を、大人になった今また走っている...。あの時は、いち読者でしかなかったけれど、10年経った今こうして記事にするべく息を切らして本屋に向かう自分がなんだかとても不思議で信じられなかった。

ありえないなんて事はありえない

鋼の錬金術師』に登場するグリートが言い放った言葉がふとよぎるくらいには、荒川弘先生のファンである。

グリートの名言を心の中で反芻しながら、到着した思い出の本屋さんには何故か「サンデーGX」がばか高い棚の上に置いてあって。エドワード並に身長が低い私は文字通り「サンデーGX」を手にするまでに一波乱あったというお話はまたどこかで...。


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