おばあちゃんの手
私のおばあちゃんは、大正生まれ。
尋常小学校に通い、その後、和裁の学校へ行った。
私の知っている、おばあちゃんの職業は「機織職人」、自宅の庭の一角に機織り小屋があり、そこで絹織物をおっていた。
私が帰省すると、お仕事はお休みして、私との時間を大切にしてくれたので、実際におばあちゃんが機織機を使っている様子は見たことがない。
私は小学校の頃から、一人で電車に乗り、片道2時間かかるおばあちゃんの家に行き、朝から晩まで一緒に過ごすのが大好きだった。
夜、一緒に眠る時に、おばあちゃんは私の手を見て、いろいろと教えてくれた。
人の手相を見ることができるようだった。
私の手相は金運には恵まれないが、人との出会いなどは良いものがあると言われた記憶がある、おばあちゃんが手を触ってくれることはとても心が落ち着くことだった。
おばあちゃんは、とても苦労を重ねた人、お見合いで祖父と結婚、祖父の家は魚屋という商いをしていて、慣れない商いの仕事は大変だったと言う。
曽祖母はあまり性格が良い人ではなかったらしく、いじめもひどく、ご飯も食べさせてもらえず、そして最初に授かった子は残念な結果になってしまったとずっと私と二人の時に言い続けていた。
そんな祖母の手は、しわしわでカサカサしていたが、その手は今まで頑張って来た証で誇れるものだと言っていた。
その後も、祖父が魚の仕入れに行った時に、交通事故で身体が不自由になり、ずっと一人で支えていた。
祖母は良く、私とお出かけなどを一緒にし歩いていると、私の手を自然に握って来てくれた。
幼き頃から、20歳を過ぎても、時々痛くて嫌だった時があったけれど、今思い返すと、とても強い愛情表現で、その強く握ってくれた時、祖母はとても心から私のことをそして時間を慈しんでいてくれたのだろうと思う。
おばあちゃんは、歳をとってもやめなかったことがある、ずっと何かを縫い続けていた。
一番最後の作品は蛙
「無事に自分のいるべき場所に帰るように」
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昨年末に、noteの世界でとても素敵な出会いがありました。
朝起きて、noteの世界にきたら、お友だちのblancheさんの「手について」とういう投稿記事を読んだのです。
手については、私はとても考えていました。
そして、blancheさんの投稿記事から、くりすたるるさんが手にまつわる記事の募集をしていることを知りました。
「今年の漢字」と「#手」にまつわる記事の募集。」というものを知りました。
「手」に関しては、実生活、仕事でとても意識する年でした。
手の大切さを、職場で実感していました、一緒に働く同僚に片手が不自由な方、そして、お客さんに週1回、手話サークルの方がお店にご来店していたからです。
過去には、私自身も「つながる手」という投稿記事を書いてました。
手は人と人が繋がれるもの、私の人生の中での一番の思い出は、祖母に繋いでもらった手、今回は思い出話を書いてみました。
その他にもいろいろな手から繋がりがうまれて思い出として残っています。
これからも、大切にしていきたいなと思います。
blancheさん、くりすたるるさん、このような気持ちをありがとうございます。