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ごまかし、ごまかし、一年が過ぎる

2021年10月は、人生のどん底だった。2017年の年末も結構地獄だった。3~4年のサイクルで修羅場がやってくるような気がする。

不安定な人生を選んでいるのは紛れもなく自分である。自分で招いた悲劇であることは認めるが、それと同時に不可抗力であったことも、また事実である。人間関係は相互作用的なもので、わたしのあずかり知らぬところで物事が動き始めてしまうと、その動きを制御することはできない。

しかし、生きている以上、傍観者、第三者ではいられない。人生の当事者である以上、トラブルに遭遇することは避けられない。

去年の今頃、わたしは精神的に参っており、過去の自分に対する嫌悪感と未来の自分に対する絶望感に苛まれていた。だから、自分にある許可を出すことにした。

「とりあえず、一年生きて、駄目だったら、終わりにしていい」と。

iPhoneのスケジュール表には、2022年10月31日に「命日」と入力しておいた。もちろん、本気ではなかったと思う。ただ、自分にそのような区切り、締め切りを与えたことで、安堵したことはよく覚えている。

それからの日々にも波があった。一日一日を精一杯生きたとは言えない。落ち込みの激しい日もあれば、何もせずに眠るだけの日もあった。一方で、15km近く歩いたり、映画を3本ぐらい梯子で見たりできる活動的な日もあった。きちんと自炊をして掃除をして自己肯定感をアップさせられる日もあった。資格試験や面接の前は体調が悪くなることもしばしば。ここ最近はヤケ食いなどをして、逆流性食道炎の症状が見られるので、運動と絶食時間を作ることを心掛けたりしている。

正直に言うと、劇的なことは何も起こらなかった。年度末頃に転職活動をして、契約社員として働けているのはありがたい。その職場で淡々と業務をこなし、時には適当にサボっていたりする。

「実は運命の出会いがあり、結婚しました」なんてこともなかった。何も起こらなかった。恋人どころか友人もいない。知り合いは少し増えた。でも、わたしの場合、何も起こらないように注意深く、先手を打っているような気もするのだ。そして、今は、何かの集まりがあっても全然行く気が起こらない。感染症の問題ではなく、一匹狼期に入っているのだ。本当は良くないのだが、人に会いたくない。

自分で作った一年間の待機期間のようなものが終わり、古いワンピース、ジャケット、シャツ、バッグを捨てた。そして、新しいバッグ、ジャケット、シャツ、コートを買った。靴下やタオルなんかも、少しずつ買い替えを進めていこうと思っている。

日曜日は、とても怠かった。しかし、家に食べるものがない。パジャマの上にコートを羽織って買い物に行ってしまった。そんな日もある。

何もしたくない日もあるし、落ち込みがやってくる日もあるが、日々は過ぎていく。トラウマのフラッシュバックはあるのに、楽しかった思い出は蘇ってこない。脳はその個体を生き残らせるために、危険を伴うことを思い出させて、備えさせるような機能があるのだろう。こればかりは仕方がない。思わず、真夜中に叫びたくなる日もある。

頑張れない自分に落胆することもあった。他人をできる限り遠ざけたい自分もいる。あまり、昔と変わらない。人間はそうそう変わらない。

ただ、変化したこともある。自分に優しい声掛けができるようになってきた。「そんなに大袈裟に考えることなのか」「そんなに怒り狂わなくてもよいではないか」と自分をなだめられるようになった。自分に罵詈雑言を浴びせる自分を、もう一人の自分が止められるようになった。これまでの自分は、何かを失敗したときや、他人との摩擦が生じたとき、相手に殺意を覚えると同時に自分自身に対しても憎悪をむき出しにしていた。「だから、おまえはダメなんだ」と自分自身をリンチして、痛めつけていた。でも、自分にダメージを与えても、疲れるだけ。メンタルヘルスを損なうことを自ら率先してやる必要はない、と今更ながら、気が付いた。

今の自分を愛すること、自分の人生を肯定することは、本当に難しい。自分自身を無条件に認めてやる。その前提がなければ、他人に対しても、オープンになれないし、優しく接することもできないだろう。

救世主願望のようなものも、まだあって、突然、誰かが助けてくれる、自分を見つけてくれるのではないか、という夢を見ている。自分の人生を劇的にプラス、わたしを幸せにしてくれる誰かが現れないかと夢想するのは本当に馬鹿馬鹿しい。

ただ、最近は、誰もわたしの人生を変えられない、ってすごいことではないかと、ふと考えたりする。世の中には、「救い」とは対極にある、人を不幸にするような出会いもごまんとある。

わたしは、救世主にも出会っていないが、自分の行く手を阻んだり、邪魔をしてくる人にも出会っていないのだ。これはこれで、すごいことなのではないか。だって、それって自分で決められる、ということなのだから。以前、自己決定権が自分にある、と考えられるのは、強い人間である、と読んだことがある。(上野千鶴子の本だったと思うが、タイトルが思い出せない)だから、わたしはそんなに不幸でもないのだと思う。恵まれているとは言えないが、自分で自分の人生の舵取りができている。もちろん、難破しそうにもなっているが、乗組員はおらず、船長のわたしだけなので、何とかなっている。

自分の精神状態が危ういのか、まともなのか、わからないが、比較的平穏に生きている。ただ、2017年、2021年以上のピンチにいつ見舞われるかわからないし、立ち上がれない日も来るかもしれない。そんな日がやって来ても、自らを奮い立たせて、立ち向かうしかない。あるいは地べたにはいつくばって、しがみつく。この世には、神も仏もなければ、悪魔も化け物もいない。この世の修羅を生きるのだ。

究極的な解決策としては、考える時間をできる限り減らして、行動することなのだと思う。でも、それをやるには体力が必要だ。さあ、体を鍛えよう。

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佐藤芽衣
チップをいただけたら、さらに頑張れそうな気がします(笑)とはいえ、読んでいただけるだけで、ありがたいです。またのご来店をお待ちしております!