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「孤独」を売るな

著名人が自分語りをするときに、「孤独な自分」を売りにすることはままある。特に、独身男性芸能人が恵まれていない自分をアピールすることが多いような気がする。これには副次的な効果が二つある。同性の男性、特にモテない男性たちから反感を持たれずに済み、共感してもらい、支持を得る。異性である女性には共感してもらいつつ、自らがフリーであることをアピールして、結果的に支援を取り付け、色恋の可能性を残す。何とも賢いやり方だ。

孤独を売りにしていたくせに、結婚したとたん、トロフィーワイフかよ、というぐらい、妻の話をし始めたりする。「ぼくの奥さんは本当に普通の人で、素敵な人なんです」って、マジで嫌な奴だなと思う。(「普通」の女性と結婚できた自分はすげえだろという自慢も超絶うざい)孤独でおぜぜを稼いでいたような男性に限って、自分にとって決して脅威になることがない年下の女性と結婚するケースが多い。(誰とは言わない。あなたの頭に浮かんだ、その人の話である)

そういう著名人を見かけると、置いていかれた、裏切られた、という喪失感も、もちろんあったことは認めよう。妬み嫉みルサンチマンだと言われれば、その通りでやんす。ただ、それだけではないのだ。

このもやもやを言語化すると、「ビジネスロンリー(孤独)だったことに心底がっかりしている」が正しい。この世には孤独に苦しむ一般庶民があふれている。さみしさを抱えた老若男女に「君と僕は同じだよ」と共感させて、その気持ちを利用して、飯を食っていたくせに、何食わぬ顔で自分はぬくぬくとした結婚生活に入っていく。

「結婚しても孤独だ」とか奴らは言い出すかもしれないが、おまえらは独身の孤独をウリにしてきたんだから、家族を持ってその孤独は解消されたんだから、もう二度と孤独で銭を稼ぐんじゃねえぞ、と思う。

孤独にも、「積極的孤独」と「消極的孤独」があって、前者は自ら選び取ったものであり、後者はそうならざるを得なかったという不本意な状態である。ただ、100%の「積極的孤独」、と言える状態もなかなかないと思っている。

たとえば、夫のDVが原因で離婚して命からがら逃げて人間不信になった女性が孤立して生活をしている場合、それを自らの選択と言えるだろうか。その一方、本人がその生活に満足していたら、孤独ではないのかもしれない。

それだけでなくメンタルが安定していれば孤独は気にならなないが、精神的に不安定になると孤独が重くのしかかってくる、ということもある。「孤独」というのは日々、伸びたり縮んだりして、伸縮自在なのだ。

わたしは「孤独」を売りたくはない。まあ、孤独であることが、アウトプットに大きな影響を与えていることは否定しない。というか孤独でなくなったら、アウトプットなんかしないと思う。孤独でなければ集中して物を書くことはできないし、お気楽な幸せ者になったら、物を書く動機付けが失われてしまうだろう。

孤独を引き寄せているつもりはないが、誰かといる苦痛を考えると、やはり孤独のほうがマシだなと思う。わたしはわたしの孤独を愛しているが、「孤独」で商売していた奴らは、やっぱり許せない。

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佐藤芽衣
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