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復調の兆しかと思いきや

ここ数か月、コロナ後遺症で体調を崩していたのだが、ここ一週間、体調が良いのか、コロナに感染する前の、「仕事、やめたい病」あるいは「働きたくない病」が復活してきた。生きているだけ、出勤するだけで精一杯だとほかのことを考える余裕がなく、日々のことをこなすだけだった。少し余裕が出てきたのか、ここ数日、仕事と人生に行き詰まり感を覚え、だいぶやさぐれていた。

一方で、やはり、調子が悪いのかな、という出来事もあった。昨夜は、外食をしようと思っていたのだが、店の前に立つと「なんか違う」と違和感を覚え、次から次へと店の前を素通りした。食べたいはずなのに空腹をあまり感じない。そして、スーパーとコンビニも寄ったが、食指が動かず、手ぶらで帰宅することとなった。「何も決められない」というのは、メンタル不調の症状の一つだと思われ、やはり、自分は弱っているのだとさらに暗くなってしまった。

朝晩は涼しくなってきたし、もっと動きたいのだが、それをするのが少し怖い。

「行動あるのみ!」という言葉は真実だと思うし、サルトルの言う通り、わたしは自由だし、自分の人生の責任は自らが負わなければならない。行動して体調を崩すか。行動せずに退屈に耐えるか。

「人生をつまらなくしているのは自分だ」などと自己啓発本は言うが、逆なのだ。人間は人生をつまらなく感じるから行動をする。つまり、退屈するように人間はできている。ネズミだって退屈したら、ビリビリ電流が走るスイッチを何度も押してしまう。ネズミがマゾヒストなのではなく、退屈は電流の痛みよりも苦痛を伴うのだとどこかで読んだことがある。おそらく、わたしも退屈に耐えがたさを感じ、電流ビリビリを求めている。残念ながら、わたしはネズミよりは賢いので電流ビリビリのあとにやってくる苦痛もわかっている。だから、退屈による苦痛と、行動した後に生じるであろう苦痛を天秤にかけて、煩悶しているのだろう。

ここは折衷案で、体調を崩さない程度に動くのが、大人のやり方である。しかし、ちょうどいい塩梅がわからんのよね。あと、全体的にいろんな欲望が落ちている感じもある。生きるエネルギー、意欲は無尽蔵ではない。一度衝動を逃したら、二度と捕まえられない。




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佐藤芽衣
チップをいただけたら、さらに頑張れそうな気がします(笑)とはいえ、読んでいただけるだけで、ありがたいです。またのご来店をお待ちしております!