【勝手に現代語訳】三遊亭円朝作『怪談牡丹灯籠』第13話(全22話)
三遊亭円朝の傑作『怪談牡丹灯籠』の現代語訳です。もともとこの作品によって、言文一致運動が展開されており、現代日本語の基礎となる作品でもあります。とはいえ、150年前の日本語では読みにくい部分もあるので、現代口語訳をしております。
2023年3月までには終わらせようと思っています。
興味のない方はスルーしていただけますと幸いです。
十三
飯島平左衞門の家では、お國が今夜こそ、かねてより源次郎と示し合わせた一大事を立ち聞きした邪魔者の孝助が、殿様の手打ちになる、やっと仕事が済んだと思っておりました。すると、飯島が奥から出てまいりました。
「國、國、誠にとんだことをした。たとえにも、七たび探して人を疑え、という通りで、紛失した百両の金子が出てきたよ。金をしまう場所は、時々変えなければならないな。俺がほかの場所にしまっていて、忘れていたのだ。みんなに心配をかけて、本当に気の毒なことをした。金が出てきたらから、喜んでおくれ」
「おや、まあ、おめでとうございます」
お國は口ではそのように言うものの、腹の内ではちっともめでたいことなど何もないと思っておりました。どうして金が出たのだろう、と不審が晴れないでおります。
「女どもをみんなここへ呼んでくれ」
お國は仕方なく、大きな声で女中たちを呼び集めます。
「お竹どん、おきみどん、みんな、ここへおいで」
「お金が出ましたそうで。おめでとうございます」
「お殿様、誠におめでとうございます」
「孝助も、源助も、ここへ呼んで来い」
「孝助どん、源助どん、お殿様がお呼びですよ」
女中が二人を呼ぶ声が聞こえてきます。源助は強情な孝助を説得しようと試みます。
「これ孝助、お詫びごとを願いな。お前は盗っていない、と言いたいようだが、お前の文庫の中から胴巻が出たのだから、お前が謝り、詫びるんだ」
「いいよ、いいよ。お手打になるときは、お殿様の前で、わたくしが並べ立てることがある。それを聞いたら、さぞ、お前は面白がるだろう」
「面白いことがあるものか。お殿様がお呼びだから、まあ行こう」
二人は連れ立って参ります。
「孝助、源助、こっちへ来てくれ」
「お殿様、ただいま部屋へ行って、段々孝助へ説得をしましたが、どうも全く孝助は盗ってはいないようです。ご立腹なのは、ごもっともでございますが、お手打ちの儀は、何卒二十三日まで、日延べのほどを願いとう存じます」
「まあいい。孝助、こちらへ来てくれ」
「はい、お庭でお手打になりますか。ござをここに敷きましょうか。血が垂れますから」
「縁側へ上がれ」
「お縁側でお手打か。これはありがたい。もったいないことで」
「そう言っちゃ困るよ。さて、源助、孝助。誠にすまなかった。百両の金は実は俺がしまうところを間違えていたのだ。用箪笥から出てきた。だから、喜んでくれ。家来だからあんなに疑ってもよいが、ほかの者であっては言いわけのしようもなかった。誠に申し訳ない」
「お金が出ましたか。さようなればわたくしは泥棒ではない。疑いは晴れましたか」
「そうよ。疑いはすっぱり晴れた。俺が間違っていたのだ」
「ええ、ありがとうございます。わたくしは、もとより、お手打になるのは厭いません。けれども、まったく身に覚えのない罪で、冥路の障りでございましたが、疑念が晴れましたなら、お手打は厭いません。ささ、お手打になされまし」
「俺が悪かった。家来だからよかったが、もし朋友か何かだったら、腹を切ってもすまなかった。家来だからといって、無闇に疑ってはいけない。この飯島が板の間へ手を突いてことごとく詫びよう。堪忍しておくれ。源助、手前は孝助を疑って、孝助を突いたな。謝れ」
「孝助どん、誠にすみません」
「たけや何かも、少し孝助を疑っただろう」
「何、疑っていませんが、孝助どんは普段の気性に合わないことだと存じまして、ちょっとばかり」
「やっぱり、疑ったのだから、謝るんだ。きみも謝れ」
「孝助どん、誠におめでとうございます。さきほどは、誠にすみません」
「これ國、貴様は一番孝助を疑い、膝を突いたり、何かしたのだから、余計に謝まれ。俺でさえ手をついて謝ったではないか。貴様はなおさら丁寧に詫びるんだ」
お殿様に言われてお國は、今度こそ孝助が手打ちになるのだと思い、内心ではしめたものだと思っていたのに、金子が出てきてしまい、孝助に謝まれと言われ、残念でたまりませんでした。でも、仕方がないから、謝るふりをします。
「孝助どん、誠に重ね重ねすまないことをいたしました。どうか勘弁しておくれ」
「何、よろしゅうございます。お金が出たから、よかった。もし、お手打にでもなるなら、お殿様のためになることを並べ立てて死のうと思っておりまして……」
孝助が早口で言いかけるのを飯島は止めました。
「孝助、何も言ってくれるな。俺に免じて、何も言うな」
「恐れ入ります。金子は出ましたが、あの胴巻はどうしてわたくしの文庫から出たのでしょうか」
「あれは、ほら、いつか貴様が胴巻の古いのを一つ欲しいと言ったことがあったじゃないか。そのとき、俺が古いのを一つやったじゃないか」
「うーん、そのようなことは…」
「貴様が、それが欲しいと言ったじゃないか」
「草履取りの身の上で、ちりめんの胴巻をいただいたとて、仕方がございません」
「こいつ、物覚えの悪いやつだ」
「わたくしより、お殿様は百両のお金をしまい忘れるぐらいですから、あなたのほうが、物覚えが悪い」
「なるほど、これは俺が悪かった。何にせよ、めでたいから、みんなにそばでも食わせてやれ」
飯島は孝助の忠義の志をかねてより見抜いております。孝助が盗み取るようなことはないと知っているゆえ、金子は全く紛失したなれども、別に百両を拵え、この騒動を我が粗忽にしてぴったりと納まりがつきました。飯島はこれほどまでに孝助を愛するがゆえ、孝助も主人のためには死んでもよいと思い込んでおりました。
かくて、その月も過ぎて八月の三日となり、いよいよ明日はお休みゆえ、殿様と隣の次男源次郎と中川へ釣りに行く約束の当日です。孝助は心配をいたし、今夜、隣の源次郎が来て当家に泊るに違いないから、お殿様に明日の釣りをおやめになるよう、御意見を申し上げ、もしどうしてもお聞き入れにならないときは、今夜客間に寝ている源次郎めが中二階に寝ているお國の所へ廊下伝いに忍びゆくに相違ないから、廊下で源次郎を槍玉にあげ、中二階へ踏み込んで、お國を突き殺しましょう。自分はその場を去らず切腹すれば、何事もなく終わるに違いない。これがお殿様へ生涯の恩返し。しかし、どうにかして明日主人を漁にやりたくないから、一応は御意見をしてみます。
「殿様、明日は中川に、漁へいらっしゃいますか」
「ああ、ゆくよ」
「たびたび申し上げておりますが、お嬢様がお亡くなりになり、まだ間もないことでございます。今回の釣りは見合わせてはいかがでしょうか」
「俺はほかに楽しみがなく、釣りがとても好きなんだ。番が込むから、たまには好きな釣りぐらいはしなければならない。それを止めてくれては困るな」
「あなたは泳ぎをご存知ないから、水辺のお遊びはよろしくございません。それでもゆくと仰るなら、この孝助がお供いたしましょう。どうか、手前をお供にお連れください」
「手前は、釣りは嫌いじゃないか。供にはならんよ。よく人の楽しみを止める奴だ。止めるな」
「じゃあ、今晩やってしまいます。長々、御厄介になりました」
「何をやるんだ?」
「何でもよろしゅうございます。こちらのことです。お殿様、わたくしは三月二十一日に御当家へ御奉公に参りまして、新参者の私を、人がうらやましがるほど、お目をかけてくださいました。御恩義のほどは、死んでも忘れはしません。死ねば幽霊になって殿様のお身体につきまとい、凶事のないように守ります。いつも、あなたはお酒を召し上がれば前後不覚で、お休みになります。また、召し上げらなければ、少しもお休みになることができません。お酒も随分気を散じますから、少々は召し上がっても、よろしゅうございます。ただ、たくさん召し上がって酔われては、たとえ、どんなに御剣術が御名人でも、悪者がどんなことをするかわかりません。わたくしはそれが案じられてなりません」
「左様なことは言わんでもよろしい。あちらへ参れ」
孝助は立ち上がり、廊下を一歩、二歩と進みましたが、これがもう主人の顔の見納めかと思えば、足も先に進まず、また振り返って、主人の顔を見てポロリと涙を流し、しおしおとゆきます。その振り返る姿を見て、飯島もハテナと思いました。しばし、腕組みをして、小首をかしげて考えておりました。
孝助は玄関に参り、欄間にかけてある槍を外し、手に取って鞘を外して、調べます。真っ赤に錆びておりましたので、庭へ下り、砥石を持ってきて、槍の刃をゴシゴシと研ぎ始めていると飯島がやって来ました。
「孝助、何だ? 何をする? どういたすのだ」
「これは槍でございます」
「槍を研いで、どうするんだ」
「あんまり真っ赤に錆びておりますから、なんぼ泰平の御代とは申しながら、狼藉者が入ってきて、その時のお役に立たないと思いました。身体が暇でございますから研ぎ始めたのでございます」
「錆びた槍で人が突けぬようなことでは役に立たないぞ。たとえ向こうに、一寸幅の鉄板があろうとも、こちらの腕さえ、確かなら突き抜けるものだ。錆びていようが、丸刃であろうが、さようなことに頓着はいらぬ。研ぐには及ばん。また、憎い奴を突き殺すときは、錆槍で突いた方が、先の奴が痛いから、この方がかえって、いい心持ちだ」
「なるほど。こりゃ、そうですな」
孝助はそのまま槍を元のところへ掛けました。飯島は奥へ入り、その晩、源次郎の酒宴が始まり、お國が長唄の春雨か何かを三味線で掻き鳴らします。九時過ぎまで、興を添えておりましたが、もうお開きにしましょう、と客間へ蚊帳を一抔に吊って源次郎を寝かし、お國は中二階で寝てしまいました。お國は誰が泊っても中二階で寝なければ源次郎が来たとき、不都合ですから、どんなときでも、お客さえあればここで寝ます。
段々と夜も更け渡ると、孝助は手拭いを目深に、ほっかむりして、紺看板の短い上着を着て、梵天帯を締め、槍を小脇に抱え込んで、庭口へ忍び込みました。雨戸を少しずつ、二か所開けておき、花壇の中で身を潜め、隠し縁の下へ槍を突き込んで、様子を窺っております。そのうちに、八ツの鐘がボーンと鳴り響きます。この鐘は目白の鐘だから少々早めです。
すると、さらりさらりと障子を開け、抜き足で廊下に忍び来る者は、寝間着姿ですが、確かに源次郎に間違いありません。孝助は首を伸ばして様子を窺います。行灯の灯りがぼんやりと障子に映るだけで薄暗く、はっきりそれとは見分けられませんが、中二階の方へ向かっていきます。孝助は源次郎に違いなし、と戸の隙間から脇腹を狙って、物をも言わず、力に任せて、槍先を脇腹に突き刺しました。
突かれた男はよろめきながら、左手を伸ばして、槍先を引き抜き、グッと突き返しました。突き返された孝助は、たじたじと石へ躓き、尻もちをついてしまいました。男は槍の穂先を掴み、縁側より下へヨロヨロと下りて、沓脱石(くつぬぎいし)に腰を掛けて、言いました。
「孝助、外庭へ出ろ」
孝助は驚きました。源次郎だと思っていた男は主人だったのです。主人のあばらに槍を突いたという事実に、途方に暮れ、ただキョロキョロと辺りを見回し、混乱しておりました。あっけにとられ、涙も出ません。
「孝助、こちらへ来い」
気丈な殿様なれば袂にて傷口をしっかり押さえてはいるものの、血は溢れるばかりで、ぼたりぼたりと流れ続けます。飯島は血の染みた槍を杖として、飛石伝い(とびいしづたい)に、ふらふらしながら、建仁寺垣の外なる花壇の脇の所へ孝助を連れて行きます。孝助は腰が抜けてしまって、歩けないので這ってきました。
「これは間違いでございます」
「孝助、俺の上締を取って傷口を縛れ。早く縛れ」
孝助の手はぶるぶと震え、思うように締めることができません。飯島自ら傷口をぐっと堅く締め上げ、手でその上を押え、根府川の飛石の上に座り込みました。
「殿様、わたくしは、とんでもないことをいたしました」
孝助は激しく泣き出します。
「静かにしろ。ほかに漏れてはよろしくない。宮野邊源次郎の奴を突こうとして、誤って、平左衞門を突いたか」
「大変なことをいたしました。実は、召使いのお國と宮野邊の次男源次郎が以前より、不義をしております。先月二十一日のお泊り番のとき、源次郎がお國のもとへ忍び込み、お國とひそひそ話しているところへ、うっかりわたくしがお庭へ出て参り、様子を聞くと、殿様がいらっしゃっては邪魔になるゆえ、来月の四日中川にて殿様を釣り船から突き落して殺してしまい、体よくお頭に届けをしてしまおう。そして、源次郎を養子にして、お國と末長く楽しもうという悪巧みです。聞くに堪えかね、怒りに任せ、思わず呻ってしまいました。それを聞きつけたお國が出て参り、かれこれ言い合いはしたものの、源次郎の方には殿様から釣道具の直しを頼みたいとの手紙を以って証拠といたし、一時はわたくし言いくるめられ、折れた弓で強かに打たれ、いまだに残る額の傷、口惜しくてたまりかね、表向きにしようとは思ったけれど、こちらは証拠のない聞いたこと。ことに相手は次男の勢い、無理やり押さえつけられ、わたくしはお暇になるに違ないと思い、あきらめました。あのことは胸にしまっておき、いよいよ明日は釣りにお出かけになるお約束日ゆえ、お止め申しましたが、お聞入れがないから、是非なく、今晩二人の不義者を殺し、その場を去らず切腹なし、殿様の難義をお救い申そうと思ったのですが、とんでもない間違をいたしました。主人のために仇を討とうと思ったのに、かえって主人を殺すとは神も仏もないことか。何たる因果なことであるか。殿様、お許しください」
孝助は飛石へ両手をつき、泣き転がりました。飯島は苦痛を堪えながら、何とか話します。
「ああ、不束なるこの飯島を主人と思えばこそ、それほどまでに思ってくれているのか。かたじけない。どれほど、敵同士とは言いながら、現在汝の槍先に命を果すとは、因果応報というものだ。ああ、実に、殺生はできないものだな」
「殿様と敵同士とは情ない。なんで、わたくしは敵同志でございますか」
「その方が当家へ奉公に参ったのは、三月二十一日、非番にて貴様の身の上を尋ねたら、父は小出の藩中にて名を黒川孝蔵と呼び、今を去ること、十八年前、本郷三丁目藤村屋新兵衞という刀屋の前にて、何者とも知れず人手にかかり、非業の最期を遂げたゆえ、親の敵を討ちたいと、若年の頃より武家奉公を心掛け、やっとの思いで当家へ奉公住みをしたから、どうか敵の討てるよう剣術を教えてください、と手前の物語を聞き、驚いたよ。拙者がまだ平太郎と申し部屋住の折、かの黒川孝蔵といささかの口論がもととなり、斬り捨てたるは、かくいう飯島平左衞門であるぞ」
飯島にそのように言われた孝助は、ただ口をぱくぱくとさせ、呆れ果て、張りつめていた緊張が解け、腰が抜け、尻もちをつき、呆気に取られています。飯島の顔をぼんやりと眺め、茫然としておりました。
「殿様、そう言うことならば、なぜ、そのときにそう言ってくださらなかったのですか。思いやりがありません」
「現在、親の敵と知らず、主人に取って忠義を尽す汝の志、ことに孝心深きに愛で、不憫な者と心得、いつか敵と名乗って、汝に討たれたいと、さまざまに心を痛めていたが、かりそめにも一旦主人とした者に、刃向かえば、主殺しの罪は逃れ難し。されば、どうにかして、汝をば罪に落さず、敵と名乗り、討たれたいと思いし折、相川より汝を養子にしたいとの所望に任せ、養子に遣わせ、一人前の侍にしてから、仇と名乗り、討たれんものと心組んだるそのところへ、お國と源次郎めが密通したのを怒って、二人の命を絶たんとの汝の心底、最前庭にて錆槍を研ぎしときより、悟ったのだよ。機を外さずに討たれようと。わざと、源次郎の容貌と見違えさせ、槍で突かして孝心の無念をここに晴らさせようと。かく計らったのだ。今、汝が錆槍にて脾腹を突かれた苦痛により、先の日、汝が手を合せ、親の敵の討てるよう剣術を教えてくだされ、と頼まれたときの切なさは百倍増であったるぞ。定めて敵を討ちたいだろうが、我が首を切るときは、たちまち主殺しの罪に落ちん。されば、我の髷をば切り取って、これにて胸をば晴し、その方はひとまず、ここを立ち退いて、相川新五兵衞方へ行き、内密に万事を相談いたせ。この刀は藤村屋新兵衞方にて買わんと思い、見ているうちに喧嘩となり、汝の父を討った刀だ。中身は天正助定なれば、これを汝に形見として遣わすぞ。また、この包みのうちには、金子百両と、詳しく跡方のことの頼み状だ。これを開いて読み下せば、我が屋敷の始末のあらましはわかるはずだ。汝、いつまでも名残惜しんで、ここにいれば、汝は主殺の罪に落ちるのみならず、飯島の家は改易となり、領地はすべて没収されるだろう。この道理がわかったなら、さっさと参れ」
「殿様、どんなことがございましょうとも、この場を去ることはできません。たとえ、親父を殺されたのだとしても、それは親父が悪いからです。これほどまでに情けある御主人を見捨てて、わきへ立ち退けましょうか。忠義の道を欠くときは、やはり孝行は立たない道理、一旦主人と頼みしお方を、粗相とは言いながら槍先にかけたのはわたくしの過ちです。お詫びのため、この場にて切腹いたして、相果てます」
「馬鹿なことを申すな。手前に切腹させるぐらいなら飯島はかくまで心痛はいたさぬわ。左様なことを申さず早く行け。もし、このことが人の耳に入ったら、飯島の家に関わる大事。くわしいことは書き置きにあるから、早く行かぬか。これ孝助。一旦、主従の因縁を結びしことなれば、仇は仇、恩は恩。よいか、一旦、仇を討ったるあとは、三世も変らぬ主従と心得てくれ。敵同士でありながら汝の奉公に参りしときから、どういうことか、我が子のように可愛くてなあ」
飯島にそのように言われ孝助は、おいおいと泣きます。
「これまで殿様の御丹誠を受けまして、剣術といい槍といい、なま兵法に覚えたが、今日かえって、それが仇となりました。腕が鈍ければ、ここまで深くは突かぬものであったのに。御勘弁ください」
と泣き沈む。
「これ早く行け。行かぬと、家が潰れるぞ」
飯島に急き立てられ、孝助は止むを得ず形見の一刀腰に打込み、包を片手に立上り、主人の命に随って脇差し抜いて主人の元結をはじき、大地に泣き伏します。
「おさらばでございます」
孝助は飯島に別れを告げ、こそこそと門を出て、早足に水道端なる相川の屋敷に参ります。
「善蔵や、誰かが門を叩いているようだ。御廻状が来たのかも知らん。ちょっと出ろ。善蔵や」
「へいへい」
「何だ? 返事ばかりしていてはいかんよ」
「ただいま、開けます。真っ暗で、さっぱりわけがわからない。あれ? どっちが出口だか忘れた」
コツリと柱で頭をぶつけ、アイタタと寝ぼけ眼をこすりながら戸を開いて、表へ立ち出でます。
「外の方がよっぽど明るいくらいだ。へいへい、どなた様でございますか」
「飯島の家来、孝助でございます。よろしく、お取次を願います」
「御苦労様でございます。ただいま、開けます」
善蔵は石の吊してある門をがったんと開けます。
「夜中に上がりまして、お静まりになったところ、御迷惑をおかけました」
「まだ殿様はお静まりなされぬようで、まだ御本のお声が聞こえます。まず、お入りなさい」
善蔵は孝助を内へ入れました。
「殿様、ただいま飯島様の孝助様がいらっしゃいました」
相川が玄関まで来て、孝助を出迎えます。
「これは孝助殿、さあさあ、今では親子の仲、何も遠慮はいらない。お上がりなさい」
と座敷へ通します。
「さて、孝助殿、夜中のお使いを定めて、火急の御用だろう。承りましょう。なんだ、泣いているな。男が泣くくらいだから、大変なことなのだろうが、どうしたんだ」
「夜中に上り、恐れ入ります。不思議の御縁、御当家様の御所望に任せ、主人得心の上、わたくし養子のお取り決めはいたしましたが、深い事情がございまして、どうあっても遠国へ参らんければなりません。ゆえに、この縁談は破談にしていただき、どうか他の養子を取ってください」
「なるほど、よろしい。お前が気に入らなければ仕方がない。高は少なし、娘は不束者、舅はこの通り、そそっかしくて、何一つとして我が家には取り柄がない。だが、娘がお前の忠義を見抜いて、恋煩いをしてまで思い込んだもんだから、殿様にも話し、お前の得心の上、取り決めたことだぞ。お前一人で来て破縁をしてくれと言ってもそれはできないな。殿様が来て、お取り決めになったのをお前一人で破るには、何か趣意がなければ破れまい。そうではないか。どういうわけだが、次第を承わりましょう。娘が気に入らないのか、舅が悪いのか、高が不足なのか。言いたいことは何だ?」
「決してそういうわけではございません」
「それじゃ、お前はしくじりでもしたか。どうも、ただの顔つきではない。お前は根が忠義の人だから、しくじって我に返り、腹でも切ろうか、遠方へでも行こう、と言うのだろうが、そんなことをしてはいかん。しくじったならわたくしが一緒に行って詫びてやろう。もう、お前は結納まで取り交わしたのだから、内の者だ。孝助殿とは言わせず、孝助様と呼ばせるくらいで、言わばうちの倅を来年の二月婚礼をいたすまで、先の主人へ預けておくのだ。まあ一緒に行こう。行ってやろう」
「いえ、そういうわけではございません」
「何だ、それじゃ、どういうわけだ」
「申すに申し切れないほどの深いわけがございまして」
「ははあ、わかった。お前は忠義者ゆえ、飯島様が相川のところへ行けと言われたが、お前の器量だから先に約束をした女でもいるのだろう。ところが今度のことをその女が知って、私が先約だから是非とも女房にしてくれなければ主人に駆け込んでこのことを告げるとか、何とか言い出したもんだから、お前は驚いて、そのことが主人へ知れては、ただではすまない。それじゃ、お前を一緒に連れて遠国へ逃げようと言うのだろう。何、一人ぐらいの妾はあってもよろしい。お頭へちょっと届けておけば仔細ない。もっとものことだ。娘は表向きの御新造として、内々ではその女を御新造として置いてもいい。わたくしが取る分、米をその女にやろう。わたしがその女に逢って頼んでもいい。その女は何者じゃ? 芸者か? 何なんだ?」
「そんなことではございません」
「それじゃ、何んだよ。えい、何なのだ?」
「それではお話をいたします。殿様は傷を負っています」
「何、負傷? なぜ、早く言わん。それじゃ、狼藉者が忍び込み、さすがの飯島でも、多勢に無勢では勝ち目がない。斬られているところをお前が抜け出して、知らせに来たのだろう。よろしい。手前は、剣術は知らないが、若い時分に学んで槍は少々心得ておる。参って、助太刀をいたそう」
「そうではないのです。実は召使の國と隣の源次郎が以前から密通をしておりました」
「呆れたものだ。そういえば、ちらちらそんな噂もあった。恩人の思いものにそんなことをして憎い奴だ。人とは言えない。それから、それから?」
「先月の二十一日、殿様のお泊番の夜に、源次郎が密かに、お國のもとへ忍び込み、明日中川にて殿様を舟から突落し殺そうとの悪巧みをわたくしが立ち聞きしたところから、争いとなりました。こちらは悲しいかな草履取りの身の上、向こうは二男の勢いなれば喧嘩は負けとなったのみならず、弓で打たれて、額に残るこの傷も、そのときの傷でございます」
「不届き、至極な奴だ。お前なぜそのことをすぐに御主人に言わないのだ」
「申そうとは思いましたが、わたくしの方は聞いただけです。証拠にならず、向こうには殿様から、暇があったら夜にでも宅へ参って、釣道具の修理をしてくれとの頼みの手紙がありましたから。表沙汰にすれば、主人は必ず隣への義理を果たすため、私に暇を出したでしょう。そうなれば、二人の思うがままに殿様を殺します。どうあってもあのお邸は出られんと今日まで胸をさすっておりました。明日はいよいよ中川へ釣に出かける当日ゆえ、それとなく今日殿様に明日の釣りをやめるようにと申しましたが、聞き入れてはくれませんでした。やむを得ず、今宵のうちに、二人の者を殺し、その場で私が切腹すれば、殿様のお命に別条はないと思いつめ、槍を提げて、庭先へ忍んで様子を窺っておりました」
「誠に感心感服。ああ、恐れ入ったね。忠義なことだ。誠にどうも、それだから娘より私が惚れたのだ。お前の志は天晴れなものだ。そのような奴は、突きっ放しでいいよ。腹は切らんでもいいよ。私がどのようにも、お頭に届を出しておく。それから、どうした」
「そういたしますと、廊下を通る寝間着姿は確かに源次郎と思い、繰出す槍先あやまたず、脇腹深く突き込みました。ところが、間違って主人を突いてしまったのでございます」
「やれやれ、それはなんたることか。しかし、傷は浅かろう」
「いえ、深手でございます」
「いやはや、どうも、なぜ源次郎と声を掛けて突かないのだ。無闇に突くからだ。困ったことをやったな。だが、誤って主人を突いたのだとしても、悪人でないことは、御主人は御存じのはずだ。間違いだと言うことを御主人へ話したのだろうね」
「主人は、とっくに心得ていたのです。わざと源次郎の姿と見違えさせ、わたくしに突かせたのでございます」
「これは、まあ、何ゆえそんな馬鹿なことをしたんだ」
「わたくしには深いことはわかりませんが、この書き置きに詳しいことがございますから」
孝助は包みを相川に差し出します。
「拝見いたしましょう。どれこれか、大きな包みだ。これ、本の間に眼鏡があるから取ってくれ」
相川は眼鏡をかけ、行灯の明りをつけ、書き置きを読み下して、大きな溜め息をついて驚きました。
◆場面
飯島平左衞門の邸
◆登場人物
・飯島平左衞門…孝助の主人
・お國…飯島平左衞門の妾
・源次郎…隣家の次男で、お國の浮気相手
・孝助…飯島家の草履取り、奉公人
・源助…飯島家の奉公人、孝助と同室で暮らす先輩
・お竹…飯島家の女中
・おきみ…飯島家の女中
◆感想と解説
円朝のオリジナルである飯島平左衞門と孝助の物語で、飯島が孝助の父親を殺したことを告白し、仇を討たせてやる場面です。金子泥棒の件で、主人と部下の感情的な対立がありつつも、和解をし、互いに対する情愛を告白しており、何ともウェットの関係性が描かれています。封建社会である江戸時代の、ある意味、理想的な主従関係だったのではないかと思われます。
第14話は、萩原新三郎とお露のパートに戻ります。もはや、伴蔵の物語になってしまっているところが、この小説のポイントでもあります。