繰り返される議論とおしゃべり
職場の会話は、何かを決めるための議論や話し合いと、あいさつや世間話といった交感的なやりとりの二本軸で構成されている。議論だけでは味気ないし、交感的な会話だけだと物事は進まない。
ただ、議論で相手の面子をつぶすようなきつめのやりとりをしたあと、交感的な会話でそれを補償するといったこともある。それはケアであり、究極的には相手の敵対感情をやわらげ離職を防ぐために行われているのだと思う。
今の職場では、きつめの話し合いとそれを補償するための交感的な会話が延々と行われ、実務が全然進んでいないことがある。というか、わたし一人で黙々と作業をしている場面があり、周囲はそれを意に介していない感じがする。下働きをやらせればいいと思っているのか、貴族のようなふるまいにも見えるが、彼らの関係修復は実務的タスクより優先されるのだろう。わたしはきつめに攻撃されれば交感的会話には応じない。「はい」とか「はあ」「そうですね」しか言わなくなるので、相手もやっても無駄だと思うのか、重苦しい沈黙が流れる。
今の職場は仕事風の仕事が多いな、とつくづく思う。自己批判と自画自賛が交互に繰り返され、分裂症かと思うこともある。自分自身を納得させ、励まそうとするような言動も多く、不安が見え隠れする。とにかくおしゃべりが多すぎる。
実質的な仕事をしていなくても職場を追放されない人がいるのなら、しち面倒くさい仕事をやっている自分があほらしくなってくる。でも、そう感じたのは今に始まったことではない。適当に仕事をやっていたり、現状維持しかしていない人のほうが、モラハラ・パワハラ上司に目をつけられることもなく在職年数が長くなるのは、あるあるだ。新しいことをやって事業を前進させても、それによりハレーションが起きて、結局、何もやっていない人が一番得をするようなこともある。
つまらない仕事でも、文句も言わずにやっているのは、そのケアをされている同僚と分担すると倍の時間がかかって進まなくなるからなのだが、そのような不平を感じているのに、上席がこちらがやって当たり前という風になっていると、やり損だなとは思う。仕事が遅い人を基準にするのはおかしいのだが、さっさと進めたら進めたでこちらの仕事量が増えていくだけ。どうしたものか。とはいえ、静かなる退職もどうかと思う。
誰のためでもなく、自分のためだけに仕事をする。今はそれぐらいの解決方法しか思い浮かばない。ただ、まあ、八年勤めた職場で感じていたことと、似たようなことを感じているので、まずい兆候だなと思う。それだけでなく、それがわたしの思考の癖だという気もする。もう少し、わがままに自分勝手になるぐらいでちょうどいいのかもしれない。どうせ、わたしがした仕事なんて、わたししか覚えていないのだから。