キャリアアップという信仰
キャリアアップしていきたい、と思っているが、キャリアアップって何だろう、とも思う。一人高度経済成長みたいなもので、上昇を前提とするのは、信仰に近い。マイナス成長なんて言葉もあるのだから、上昇できるとは限らない。
キャリアアップするために新しいことを学ぶのは有意義だし、向上心も大事。修行僧のように学ぶのもよい。学ぶこと自体を楽しめているのなら、それが一番。
職務経験を積み、経験値が増えれば、できることもおのずと増える。自然とキャリアアップできていたら、それが最も理想的。しかし、経験が邪魔をして変化に対応が遅れることもあるだろう。物事を決めつけて、フラットに考えられなくなり、当たり前のことに気付けないこともある。
今よりいい会社、いい仕事、年収アップのための行動は、徐々に苦しくなりそうな気がする。
そして、キャリアアップとは、戦争も、天変地異なども起こらず、自分が健康で、交通事故などにも遭わず、家族のケアなどをしなくてもいい、という結構な条件がそろっていないと達成できない。社会インフラはもちろんのこと、この社会が平等でないと、キャリアアップも難しい。
わたしは資格を取得してキャリアチェンジしたが年収は100万ぐらい下がっている。もともと、低かったのに下がるんかい! とも思うが、前職にとどまれないぐらい追い詰められていたのだから仕方あるまい。そう簡単にキャリアアップってできないものだと思う。
RPGゲームではレベルアップすると、強い敵が倒せるようになる。そのオマケでお金がもらえて、武器や装備、アイテムを購入する。キャリアの場合、できることを増やして、資本家からもらえるお金を増やすことが目的。つまり、ラスボスを倒すのではなく、自分の取り分を増やすために、キャリアアップは行われる。しかし、資本主義はそこまで万能でもないし、すべての人が勇者になることもできない。
それをふまえておかないと、大きく道を見誤るような気がしている。だから、まあ、何事もほどほどに。失敗しても損をしたとか考えず、レベルアップはできたと考えるようにする。キャリアアップよりレベルアップですよ。