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頭がハイジャックされる

わたしは、気がかりなことがあると、そちらに思考と体を持っていかれてしまう。いわゆる心配性である。心配したところで、状況が改善されるわけがなく、単に心と体が千々に乱れ、疲れ果てるだけなので、やめたいのだが、やめられない。「案ずるより産むがやすい」とわかっているのに、頭が「心配」「不安」「焦燥」にハイジャックされてしまう。

そうなると、日常がおざなりになり、部屋が散らかり始め、汚れ、皿洗いなどが後回しになっていく。食欲がなくなり、自炊をしなくなり、本を読まなくなり、無駄にスマホを触っては検索をかけてしまったりする。

脳が興奮状態で、そわそわして、落ち着かない。この状態が無益だとわかっているのに、なかなか軌道修正ができない。今日も、コーヒーを飲もうとして、コーヒーメーカーのセッティングだけして、スイッチを押さず、一日が経過してしまった。気もそぞろなので、noteを更新しようという気も起きず、一週間が過ぎてしまった。

あまりに気持ちがざわざわするので、一時間半ぐらい集中して歩くようにしたら、少し「ざわざわ」が緩和された。やはり、運動はよい。あと、夜は涼しくなってきたので、今は秋を感じることもできる。

何というか、「平常心」とか「目の前のことに集中すること」がいかに難しいことなのかを改めて感じている。子どもの頃からの悪癖が直せぬまま、大人になってしまった。淡々と生きていたいのに、慌てふためき、狼狽したり、小さなことに落胆したり、ちょっとしたことに腹を立てたりと、頭の中はてんてこ舞いである。

わたしは野球にまったく興味がないのだが、新記録を出しても、MVPを獲っても、表情一つ変えず、メンタルが乱れていないであろう大谷翔平選手は、本当にすごいと思う。パフォーマンスを最大限に高めるために、テンションを一定に保つ努力をされてきたのだろう。もともとの性格なのかもしれないが、あの落ち着きが生来のものだとしたら、それも一つの「才能」だという気がする。(もしかしたら、野球の才能より、「冷静沈着」とか「落ち着き」とかの才能のほうが、汎用性が高く、アドバンテージになるかもしれない)

そして、自分がいかに「日常生活」を大切にできないのか(していないのか)も、考えてしまった。ビッグイベントがあってもなくても、日々のことをきちんとできる人は、胆力、体力のある人だと思う。それって、自分を大事にできている、ということであり、セルフケアを欠かさずにできていることを意味している。わたしは出来事に引っ張られ、他人の言動に心を乱されると、自分を粗雑に扱い始める。何も手につかなくなる、って比喩じゃないのよ。

「わたしがいるから、世界がある」という天上天下唯我独尊的な考え方は、自己中心的、自己陶酔的な印象があり、あまり好きではなかったのだが、これは「真理」でもある。だって、わたしという個体の心臓が止まれば、意識がなくなれば、この世界を見ることは、結局、できなくなってしまう。この「主観」が、安全で衛生的でなければ、日々は苦しくなっていく。

「生活」をないがしろにすると、それは自分自身にマイナスで戻ってくる。会議が紛糾しても、何食わぬ顔でランチでご飯を大盛にしてトンカツ定食を食べられる人はすごい。わたしは食欲が失せて、お湯をすする、みたいなことをしてしまう。そうすると、のちのち、具合が悪くなっていく。空腹を感じようが感じまいが、時間になったら食べる、という習慣を維持していないと、血糖値が乱高下するので、体に悪い。それが遅かれ早かれ、精神にも影響を及ぼすことになる。

わたしは幼少時より、食が細く、空腹を感じにくいことも、災いしているような気がする。お腹が減ると不機嫌になる、という人のことがよくわからないが、うらやましいと思っている。食べると、集中ができなくなってしまう、という思い込みも、どこかにある。

ヨーグルトやジェネリックヤクルトを買うのを忘れてしまったので、乳酸菌が摂取できていない。こういうことが積み重なり、自分の体調に注意を向けられなくなると、体力が落ち、浅い睡眠が増え、弱っていく。

崩してはいけないルーティンと、非日常のバランスというものを見極めていかなければならない。あまりに変化がないと脳が退屈してしまう。ただ、生活が乱れると健康が維持できない。この絶妙な塩梅を理解して、ご機嫌に生活できている人はすごい。ただ、そういう達人は見えにくい。自己申告は信用できない、というのもあるし、そういう人生の達人のような人は、インターネットなんかやっていないのではないか、という気もする。真っ当な人は、身体を用いて物理的な世界で、生活をしているのだと思う。

SNSによって常に脳が興奮状態で生きている人もたくさんいるのだろう。でも、それって、やっぱり、不毛な気がするし、健康ではない。まあ、やっぱり、SNSはドラッグなのだと思う。だから、やめられないのだ。

グループLINEで、わたしにだけ、リアクションが少ないような気がしたり、あの人は毎回リアクションしてくれないとか考えてしまう。本当にどうしようもないことにクヨクヨしているし、自分が嫌われているのではないかと考えるのも、やっぱり、不毛だなと思う。見なけりゃ済む話なのだ。

昨日はやっと精神的に落ち着いてきて、帰宅後にすぐに寝てしまった。ここのところ、眠りが浅かったのだろう。三時間の睡眠だったが、深かった。夜の十時ぐらいから、部屋を片付け、物を捨てて、キッチンを掃除して、すっきりした。野菜スープを作って、すすっていると体も温まってきた。

ここ数年、「ご自愛」とか「ご自愛ください」というフレーズが、以前より頻繁に使われるようになったと耳にしたことがある。もちろん、儀礼的行為でもあるのだが、自分を大事にするって難しいのだと思う。

「俺様を丁重に扱え」と他者に強要する人は、おそらく自分を大事にできていないから、他人の所作に過剰反応しているのだと思われる。自分で自分を丁寧に取り扱うことができれば、他人なんかどうでもいいはずなのだ。

日常を遂行できる人、きちんとこなせる人は、自己肯定感が高いだろうし、自己効力感も感じられているはずだ。そういう人にわたしはなりたい。

不用品を捨て、こまめに掃除をして、床に物を置かない。まず、そのあたりから、生活を立て直していこう。ハイジャック犯は逮捕され、ぶた箱にいるので、もう大丈夫!(これはメタファー笑)

出来事とそれによって生じる感情に振り回されたくない。自分で自分をコントーロールできている、という感覚があれば、もっと人生の質が上がる気がしている。

道は遠い。

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