映画『バッファロー'66』(1998)の感想
ヴィンセント・ギャロ監督・主演・脚本の『バッファロー'66』を2月某日、映画館で観てきた。
この映画を観るのは二度目である。
一度目は、十代の頃、レンタルビデオで観たはずである。
この映画が大好きだと某お笑い芸人が話していて、単にかっこよさげだったり、空気感だけの映画ではなかろうかと危惧しつつ、鑑賞をした記憶がある。それはあながち間違いではなかった。
ヴィンセント・ギャロが演じるビリーを愛おしく思えなかったら、この映画の長所は半減するだろう。私は全然愛おしく思えなかったので、正直なところ、つまらなかった。
不器用で馬鹿で自暴自棄になっている男が、かわいい女の子に構われて、
「やっぱり、死ぬのも殺人もやーめた」
というだけの映画である。
この映画に没入できなかったのは、クリスティーナ・リッチ演じるレイラが、ビリーと行動を共にする動機づけの説明がなかったからだ。
レイラの存在に必然性が感じられないので、ビリーにも、レイラにも、まったく感情移入ができなかった。
彼女がこの映画に登場するのは、「かわいいから」というだけの気がする。
レイラは馬鹿ではないけれど、知性はなく、セクシーでキュートで愛想が良く、主人公のビリーを甘やかしてくれる。
宣伝文句には「天使」とあったらしいが、頭の足りない女の方が安心する、というだけの話ではないか。
ただ、ビリーの生い立ちや家族関係、だめだめな人生などは、アメリカのどこかにこんな人がいるかもしれない、と思わせるものではあった。
だからこそ、レイラがビリーに付き添う、寄り添う理由が欲しかった。動機づけが描かれないので、男子の妄想を一方的に見せられているような気分になってしまった。
映画鑑賞後、十代のときに抱いた感想を思い出す。
「脚本が弱いんだよなあ」
今もまったく同意見なので、私は全然成長していないのかもしれない。
ヴィンセント・ギャロはかっこいいし、クリスティーナ・リッチはマジかわいい。魅力的であることは否定できない。
しかし、それだけでは、脚本のつまんなさは、カバーできないのよ。
YESの『HEART OF THE SUNRISE』は、かっこいいですね。
チップをいただけたら、さらに頑張れそうな気がします(笑)とはいえ、読んでいただけるだけで、ありがたいです。またのご来店をお待ちしております!