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「わたし」が組織で働くとは

一人きりで働いている個人事業主以外は、大なり小なり組織の中で働いている。家業を継いでも、小さな会社に就職しても、一人でなければ、もはや「組織で働いている」と言える。

仕事の専業化、分業化

仕事は細分化され、分業化され、セクションで区切られ、他人の仕事に興味を持たず、首を突っ込まずいることが望まれる。だから、越境は、ときに越権行為だと怒られたりする。

組織の中で、仕組化された職場で働くのは本当に楽だ。以前の職場は、わたしがマニュアルを作ったりしていたため、滞りなく業務が流れていくかをチェックする役割と、別の業務も並行してやっており、本当に骨が折れた。

しかしながら、管理職であろうと、パート、アルバイトであろうと、組織の一員であることは間違いない。

我々は駒なのか。歯車なのか。部品なのか。

代わりはいくらでもいるし、キーパーソンがやめたとしても、組織はなんだかんだ崩壊せずに続いていく。組織という生命体には、可塑性と柔軟性があり、案外生き延びていく。だからこそ、組織はときに暴力的にふるまい、個人を死にまで追いやったりする。身内への甘さと、組織に反抗する人物に対する冷酷無比さは、表裏一体なのだ。組織はかくも強い。人間が社会的動物であることの所以なのかもしれない。

正直、今のわたしは組織の駒であることが心地いい。しかし、そうなったのは、折り合いを付けられるようになったのは、つい最近のことだ。大学生の頃は、自我を殺すことに脅えていた。組織で働くことは自分が自分でなくなることを意味しており、嫌で嫌でしかたがなかった。

2000年代のジェンダー規範

大学生のとき、わたしはサークルにも入らなかったし、友達も少なかった。それは、ノリのよい人物、愛想のいい女の子、お酌をしなければならない、料理を取り分けなければならない空気に耐えられなかったからだ。わたしが大学生をしていた2000年代は、それが当たり前だった。

ゼミの飲み会で、先生や男子学生にお酌する同級生女子も、過剰適応しているように見えて、本当に嫌だった。その彼女は、男子の落とし方、口説き方、口説かれ方、セックスに対する考えも、あっけらかんとしゃべっていて、それも過剰適応、男性に期待された役割を演じているように見えた。従順で奔放な女性は、陰では男にビッチ扱いされ、侮られていた。それら諸々の模様がすべて嫌だった。(ただ、彼女はとてもいい人で、不愛想なわたしにそれを強要したりすることもなかったし、年賀状メールをくれたりもしたし、親切な人だった)

わたしの大学時代は、まさにイヤイヤ期。全部、嫌だった。群れの中で、女性らしさを強要されるなら、孤独に生きていこうと思った。

女の容姿をジャッジしてもいいという優越意識

キャンパスの中で、通りすがりの、知らない男性に体型や容姿のことを批評されたりしているのが耳に入ってきたりしたこともある。ここで文章には再現できような下劣なことを言われたこともあり、トラウマにもなっている。男子学生はそれをほぼ無意識にやっていたのではないか。「自分はそんなこと言った覚えはない」とか言いそうな気がする。

ルッキズム以前の野蛮な空気、思考がだだ漏れでも、ただの男子学生ごときでも、女子学生の性的な価値をジャッジメントしてもいい、という空気があった。これ、2000年代のお話よ。昭和じゃないのよ。

ちなみに、わたしは、見知らぬふくよかな男性や、見た目のよくない男性に、すれ違いざまに、その容姿について発言したことは、生まれてこの方、一度もない。これからも、やらないだろう。何かを思うことはあっても、決して口に出すことはない。殴られるのが怖いからではなく、ものすごく失礼な行為だからやらないのだ。その人を傷つけてもいい権利など、わたしは持っていないし、他者を侮辱してもいい権利などいらない。

大事に扱う女と雑に扱う女の区分け方法

印象的な体験は文化祭だ。ワンピースを着ていた日にはちやほやされ、パーカーにジーンズという格好の日は、ぶつかられたり、ひどい扱いを受けた。わたしの内面なんて、本当にどうでもいいのだな、と強く実感した。女性の記号性が色濃く出たファッションでしか、女性であると認識されない。わたしは、記号であり、モノなのだ。

恐ろしいのは、男性はそれを無意識にやっていたのではないか、ということなのだ。

「記号」が大好きという思考停止

「女子高生が好き」「女子高生に癒されたい」「女子高生に殺されたい」なんて、今の時代も言えてしまうのは、この国ぐらいで、個別性や内面性は、ガン無視なのだ。記号が大好き。若さが大好き。無知であってほしい。馬鹿なぐらいがちょうどいい。個性や個別性、多様性なんて、面倒くさい、といった思考の不気味さ。

その女子高生が中年女性、老齢になったとき、「君は魅力的だ」と愛されるとは到底思えない社会ってどうなのかしら。大丈夫なのかしら。

あと、JKって買春用語だから、使うのやめたほうがいいよ。この文化的風潮は、1990年代はもちろん、2000年代から2020年代にかけても、残念ながら変化していない。

チェーン店カフェ社員、22歳の衝撃の言葉

大学入学後、19歳の頃、チェーン店のカフェでアルバイトを半年ぐらいやった。このときは、実家暮らしで、家事も全然しておらず、仕事の要領が悪く、すぐにやめてしまった。我ながら、使えない奴だった。今はすぐ店長になるぐらいの自信がある。仕事って慣れよね(笑)

そのアルバイトをしていたとき、衝撃的だったのは、男性社員の言葉だ。高卒入社の22歳の人で、25歳のアルバイトの女性のことを陰で「ババア」呼ばわりしていた。彼は「〇〇さんは25歳のババアだから」とわたしにわざわざ言ってきたのだ。25歳は人間扱いしなくてもよい、とでも言いたかったのだろうか。

わたしは19歳だったので、ババアとは呼ばれていなかったと思うが、すごく嫌な気分になったことを今でもありありと思い出せる。19歳のわたしの前でいきがっていたのか、「君は若いから価値があるよ」と言いたかったのか。若さを褒められても、年齢で人を差別的に扱う人が好かれるわけがない。わたしは暗澹たる気持ちになった。人を記号的に見過ぎていて恐ろしい。

しかし、25歳が「ババア」扱いされる社会に生きているからこそ、わたしはいまだに加齢を肯定的に考えられないのかもしれない。若いうちに死んでしまいたいという思考が生まれた理由、それは「若い女は性的な価値があるから大事にしてやる」という謎の上から目線のメッセージに洗脳されていたのかもしれない。

そういえば、そのカフェの休憩室には、ヌードグラビアの写真集が無造作に置かれていた。カフェだから、女性のアルバイト店員も多いのにその程度の意識だったということである。

そういや、ほかのアルバイトの控え室の棚にはアダルトビデオのDVDケースが普通に置かれていた。当時のわたしは「男ってそんなもん」だと受け流していて、セクハラだとすら思わなかった。麻痺していたのだな、と思う。これ、2000年代の東京のお話ね。性的に扱われることにも慣れすぎていた。

2000年代の女子大生に求められていた所作

当時の女子学生に求められていた振る舞いや役割は馬鹿でもわかった。かわいらしく、賢くないふりをすること、自分の意見を言わないこと。そんなことを強要されるぐらいなら、出会いや恋愛なんていらないやと思った。

それを嬉々としてやる自分も、嫌々やる自分も受け入れがたい。自分が死ぬようなことにはあえて手を出さなかった。その決断には、まったく後悔がない。男性にそういったことを期待されること、強要されるのが、たまらなく嫌だった。しかし、社会にはそれが根強く残っているというか、現在進行形の事象だった。「それも仕事のうちだよ」と言われたくない。

怒りと葛藤がある一方、長いものには巻かれたほうが楽になれるのではないかという誘惑もあった。ものわかりのよい女を演じることだって、できなくはない。でも、それは嫌だったので、マッチョな世界は避けるように生きてきた。地味な世界にもマチズモの残滓はそこら中にあるが、強姦とか、そこまでの凶暴性がないことはせめてもの救いだった。

2000年代の大嫌いな雑誌『CanCam』『JJ』『ViVi』

二十歳前後の自分が守りたかった自己とは何だったのだろう。社会はとてつもなく野蛮なところだと思っていた。自分の傷つきやすさ、反発心、攻撃的なところを隠せなかった。

2000年代の若い女性のステレオタイプを無視はしつつも、ノイズではあった。『CanCam』『JJ』『ViVi』といった雑誌の主旨とモデルたちが大嫌いだった。

彼らが勝手に女子大生や若い女性を規定したせいで、社会が彼女たちのような女性を期待してくるではないか。あんなもん、髪に洋服に、靴、バッグ、化粧品に金をかけられる特権階級の女にしかできない装いなのだ。実家が金持ちか、売春をしなければ、手に入れることができないファッションを憎んでいた。あれ、全然自然じゃない。2020年代の安い服とは全然違うのだよ。ブランドもので身を固めるなんてことを無理してやらされていた人たちもたくさんいたのだろう。まだ、紙媒体の広告に勢いのあった時代だと言えるかもしれない。

しかし、時は流れ、みな貧しくなり、金を持っているふりすら、する必要がなくなってきた。

2010年代の飲み会のお酌と料理の取り分け

葛藤を抱えることは減った。なぜなら、それはセクハラ、時代遅れである、という認識になりつつあるからだ。お酌を強要すること、サラダの取り分けをさせられている女性を2010年代は見ていない。近くの人が近くの人に取り分けるのが当たり前になっていた。わたしが取り分けようとすると、「やらなくていいよ」と止める男性もいた。

性別役割分業意識から生じた社会的圧力から解放されつつある今は、自我というものは、かなり小さくなった。わたしの反発が単なる「わがまま」だと断罪される時代ではなくなったのだ。

2020年代の気楽さ

わたし自身の個性や自我を出すこと、自分らしさをことさらに表現する必要も、なくなってきた。そんな自分を認めてもらおうという努力もしなくていい。のっぺらぼうだけど、仕事はできるぜ。それで全然OKだ。わたしのこだわりなんかにこだわらなくてもいいや、という感じになってきて、気負いがなくなってきた。

女性が記号的にふるまうことも、強要されることは少なくなってきた。選択肢がある。以前より、組織の中で働きやすくなった。もちろん、性別役割分業意識は根強いが、「女なのだから、愛想よく、女らしく振る舞えよ」と圧力をかけたり、それをやれ、と指示や命令をしてはいけない。これだけでも、全然違う。

「やってはいけないことだけれど、やらせる」のと「やらせて当然だ」という意識では、表面に出てくるもののスケールは全然違ってくる。

2020年代の他者と接触するリスク

2020年代の今、感染症の蔓延により、飲み会というイベント自体が消えてしまったのも大きい。他人が触れたものを食べたり、飲んだりすることが危険になる時代になるなんて誰が想像できたていただろう。コロナ禍で、孤独に苦しんでいる大学生も多いと言われているが、飲み会によって失望する出来事に遭遇することも少なくないから、そんなに残念がらなくてもいいのではないかと思ったりもする。無駄に傷つく必要なんてないのだから。

50代管理職中年男性の家父長制の根深さ

そして、世界は平和になった、なんてことはない。

管理職中年男性のパワハラの根本には、家父長制がある。「女は劣等なんだから、男の俺様に従え」というやつだ。これに遭遇したら、闘うのか、闘えるのか。わたしは結局、ちょっと闘って、耐えられず、退職に追い込まれてしまった。端的に言えば負けた。しかし、後悔はない。負けて逃げたから、今、こうして文章を書けている。我慢しない女性社員がいたことをパワハラ上司は苦々しく思って、イジメたことを反省などしていないと思う。ただ、組織としては弱体化していくだろう。モラルのない職場は士気が落ちる。いずれ、淘汰されるはずだ。

補足

わたしにこんな長文記事を書かせたのは、以下の出来事が関係している。

わたしたちは、常に社会の言葉を受け取って生きている。社会構築主義(社会構成主義)の考え方が実感を持って理解できる。

社会構築主義(英: social constructionism)
人間関係が現実を作るという考え方である。現実、つまり現実の社会現象や、社会に存在する事実や実態、意味とは、個人の頭の中で作られるものではなく、人々の交渉の帰結であると考え、言語的に構築されるという社会学の立場である。

Wikipedia 社会構築主義

まとめ

「組織っていいよね」ってだけの記事が、こんなにも長くなってしまった。まとまっていない部分もあるのだが、組織を肯定できるようになってきたのは時代の変化によるところも大きい。わたし個人も、もちろん変化しているが、わたしだけの変化ではない。

組織に入ることに脅え、嫌悪していた自分が、組織で淡々と作業することもできている。だから、組織が怖い人、嫌いな人、老いも若きも悩みは絶えないと思うが、これだけは飛び込んで確かめるしかない。挑戦するだけで偉い! 挑戦者には拍手を送りたいと思う。

追記

意外と「スキ」が付いていて驚いたが、フォロワーの人が微減している。こういう記事を書くと減るのだよな。でも、まあ、みんなに好かれるのは難しい。人によって見えている風景は違うのだからしかたがない。そして、この記事は、2000年代には書けなかった。2020年代の今だからこそ、書ける。そのことを感慨深く思う。

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佐藤芽衣
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