つれづれ日記 ラーメンの日に思うこと
7月11日はラーメンの日であることを今日知った。ラーメンは好きだが、今回の主題ではない。ここ数日、つらつら考えていたことを書き留めておきたい。
「情念」について
「情念」というものを甘く見てはいけない。そして、「祈り」と「呪い」は表裏一体である。この世は、ものわかりのいい人ばかりではない。飼い犬に手を嚙まれることもある。窮鼠猫を嚙む、なんてことわざもある。弱者を利用して、いい気になっていると痛い目を見るぞ。兎にも角にも、他者に敬意を払うべきなのだ。そうすることでしか、自分も、他人も守れない。
内臓を包む皮膚
ここ最近、体のことをよく考えている。これまでのわたしは、体の表面、つまり肌や皮膚の見た目にとらわれていた。ここのところ、内臓が飛び出さないように、筋肉を覆うために皮膚が存在しているような気がしてきた。わたしの中身を包む皮(側・がわ)として、皮膚がある。だからこそ、皮膚をもっと大事しないといけない。肌がつるすべでなくてもよい。わたしの中身を守ってくれればそれでよい。人は見た目じゃない。大事なのは内臓だ。
自炊するのが面倒くさい
30℃越えの日が続いているせいか、全然料理をする気が起こらない。スーパーに行っても、野菜が高すぎるような気がする。物価高騰とメディアに刷り込まれ、何でも高く見えてしまう。もしかしたら、わたしが思うほどは高くない可能性もある。というか、どうしたって弁当と外食の方がお金がかかるのだから、作れよ、とも思う。ただ、料理したくないときにすると、イライラして、まな板を落下させたり、包丁で手を切りそうになったりするから、やらないほうがいいのだ。
アイロンが嫌いだけど好き
今の季節、アイロンがけはいろんな意味でつらい。暑いし、熱いし、電気代もかかる。でも、シャツのしわがきれいに伸びると気持ちがいい。
朝、起きられるようになった
なぜか、わからないが、朝、スムーズに起きられるようになった。社会的に死んでしまうことを恐れているのか(笑)。精神的に安定しているのかも。
QUEENは最高
映画『犬王』がきっかけで、Queenを聴き直している。派手で、豪華で、けばけばしい感じが最高だ。わたしはMIKAも好きなのだけれど、彼ならものすごく上手にフレディ・マーキュリーのカバーができると思う。
胡麻だれは難しい
先日、某立ち食い蕎麦店で何の気なしに、胡麻だれのせいろを食べたら、めちゃくちゃ美味しかった。数日後、ほかの立ち食い蕎麦店で、また胡麻だれのせいろを頼んだのだが、酸っぱいやらしょっぱいやらで、まずかった。胡麻のドレッシングも、結構当たり外れがある。胡麻だれは、博打だ。
「褒めて、励ます」指針に変更なし
わたしは基本的に批判的なことは口にしない。何かを発言するにしても、なるべく事実ベースで、わたしの個人的意見として述べるようにしている。素晴らしいと思えば、素晴らしい、と言うようにしている。
「褒め合っても仕方がない」と言う人もいるが、貶されて、批判されて、元気になった人を見たことがないのだ。萎縮させてもいいことはない。「批判を自分への攻撃だと受け取ってしまって残念だ」なんて言い草もある。批判を受けても、へっちゃらなぐらい、自分の作成物と自分自身を切り離せる人(受け止められる人)は、自己肯定感が高く、親や親類縁者にきちんと愛情を注がれて育った人で、ある種のエリートなのである。そのプロテクトができるのは、あなたの文化資本であるのだから、それを万人に強要するな、と思う。七転び八起きできる人は、そもそも、あらゆる意味で実家が太いのだ。面と向かって欠点を批判するより、それに気付かせるようなアイデアを話してほしい。
でも、これって全然目には見えないものだから、お互いにきつい。いつのまにかいなくなってしまったあの人は、丸裸でいたのだよ、と言いたい。あなたは、五月人形みたいな甲冑を身につけて、刀と盾まで持ってるけれど、素っ裸の人を攻撃するなんて、まともな心があるとは思えないわ。
最後に
兼好法師の『徒然草』ぐらい、取り留めなく、つまらない日記を書いてしまった。清少納言の『枕草子』のような、きらめきがほしい。