ケアをする人
社会のケアワークをしている人は見えにくい。さまざまに存在する有償無償のボランティアを担っている人は、たいてい家庭でもケアワークをしている。正社員の配偶者がいるからボランティアのケアワークに従事できるとも言える。発注する側も生活には困っていないが、少しだけ時間の余裕のある人に、少しだけ(たとえば水曜日の昼間の2時間だけとか)仕事を振りたい。フルタイムで雇用できるほどの予算はないという現実がある。そのような仕事は見えにくいが、世の中にはたくさんあって、社会を支えているのだが、あまり可視化されていない。
社会は彼女ら(あえて彼女らと書いている)に依存しているのだが、彼女らのような存在がずっとい続けるとは考えにくい。薄給で長時間労働をせざるを得ない人も増えているし、配偶者の給与だけでは暮らせないとなれば、彼女らも賃労働に参画することになり、可処分時間はおのずと減る。労働人口が減って、誰もが賃労働をするようになれば、誰がケアワークを担うのだろうか。
社会的な弱者やマイノリティに対する支援は少ないながらも行われており、それを担っている人々がいるからこそ、社会や地域に混乱が起こらずに済んでいる。とあるボランティアの説明会に参加したとき、そのようなことが直観的に理解できた。
社会の底が抜けないようにする努力は日々続けられているが、本当に目立たない。その恩恵にあずかっていることを忘れてはならないし、無数の善意が、ある程度は報われる世の中であってほしいと思う。
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