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優しい面接を受けて、泣きそうになる

先日、小さな会社の面接を受けてきた。

面接官は社長と正社員のスタッフの2人で、わたしの履歴書と職務経歴書から、わたしの人となりを引き出そうとしてくれているのがわかった。

これまでのわたしが受けてきた面接は「圧迫」とは言わないものの、緊張感が漂うものであったことは確かだ。「おまえはなんぼのもんじゃい」「俺様に売り込んでみろよ」みたいな圧を感じながら、話すのが常だった。

今回の面接は「ああ、そうなんですね。面白いですね。そのことについて、もう少し詳しく聞いてもいいですか」という感じで、否定的なニュアンスを感じるやり取りが皆無だった。わたしが作ったシナリオはあったものの、それを使う機会はあまりなく、自然なやり取りをしてくれた。

面接が終わった後、いつもは疲労でぐったりするのだが、今回は会社を出たあと、晴れやかな気持ちになっていた。不採用通知をもらったとしても、御礼のメールを送ろうと思えたのも初めての経験だ。素直に感謝している自分がいる。帰りの電車の中で、面接のやり取りを反芻して、少し泣きそうになった。

そして、自分が前々職の上席のパワハラにいまだに傷ついていて、それからまだ回復していないことにも気が付いた。そいつに加害された、裏切られたことによる傷が痛むからこそ、今回の面接官の「優しさ」が身に染みた。猜疑心のかたまりで、暴れる自分を少しなだめることができた。傷つけられた経験によって、より早く反応して攻撃に転じないと損をする、といった謎の信念ができあがってしまっているようだ。そんなときは、全身が緊張状態で筋肉が強張るので余計に疲れるのだろう。

わたしはパワハラとモラハラとサービス残業を理由に退職をしたのだが、自己治療としては、とりあえずやり過ごす、という手段を取った。確かに時間はお薬なのだが、いまだに心の中に暴れる「鬼」がいて、外に出てこないように抑えている感覚がある。この鬼は小さなときもあれば、巨大化して手に負えなくなってしまうときもある。もちろん、鬼は子どもの頃からいたのだが、鬼も傷ついて疲れ果てているようなところがある。この「鬼」が外に出てこないように、うまく付き合っていくのが今後の課題だ。鬼退治はできないのだと悟った。

あと、今回の面接を受ける前の週は、謎のだるさがあった。脚が熱を持っていて、ウォーキングする気分にもなれず、ちょっと歩いただけで疲れていた。しかし、熱もないし、咳が出ているわけでもない。帰宅後、夕飯を食べると、もう何もできない。次の出勤までひたすら眠る、10~12時間ぐらい寝る日々が続いていた。病気ではないのに、気力と体力が衰えて、削がれている感じがあった。おそらく、人生が進まず、停滞していて、八方塞がりなことに、メンタルがやられていたのだと思う。言語化するより前に、体の不調として現れていた。

その会社の面接が終わってからはスッキリした。結果がどうなるにせよ、素直に受け容れようとも思えた。

その翌日、公園を散歩しながら、たった一日で人の気持ちは大きく変わる。そして、状況も変わる。履歴書と職務経歴書だけで、人間は遠くに行ける。たったそれだけのことで人生を変化させられるのだと今更ながらに実感した。

やはり、動かないと何も起こらない。ただ、動きすぎると、精神的なエネルギーが枯渇するので、それも塩梅だ。少しずつでも動き続けていれば何とかなるものだということも、また再確認できた。


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佐藤芽衣
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