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うっすら傷つく

傷つけられたことに瞬間的に気が付くときと、時間が経過して「あれ、なんか痛いかも」と気が付くときがある。それは内出血の青痣に似ている。病院に行くほどでもないし、泣きわめくほどでもない。ぼんやりとした鈍い痛みだ。でも、痛くないわけではない。

今回は、後者であった。昼食を食べて、昼寝をして、散歩をして、買い物に行って、冷蔵庫に野菜を詰めながら、自分が傷ついていることに気が付いた。

わたしは、転職のことをある人(第三者)に相談した。その人は、さらりと言った。

「あなたのような仕事をしている人の多くは、そのような悩みを抱えていますね。ストレスを抱えていたり、収入の少なさに困っていますよ」

彼はにこやかな表情で淡々と言った。その人にしてみれば、わたしのような存在は、珍しくも何となく、悩みを抱えているのは当然だと言わんばかりであった。

なんだか、自分が取るに足らない、ひどく惨めな仕事をしていることが、誰から見ても自明であったことを教えられたようで、時間が経つにつれて、落ち込んでいった。

言われなくてもわかっていた。でも、他人から言われたくない。ほかの人の例も聞きたくなかった。

ただ、悪意のないその言葉で、今の仕事から、少しずつでも軸足をずらしたほうがいいのだと改めて思った。

脳内のもやもやすること、誰もが無意識に感じていることを言語化することは、基本的にほめそやされる。

Twitterがバズるのは、言語化に対する褒美のようなものである。

しかし、わたしは今日、言語化したくなかったことに気が付いた。あえて、言語化しないことを選択していたのだ。うやむやにしたかったわけではなく、頭の中では、はっきりとわかっていたのだが、それを口にしたら、崩れ落ちてしまうような、自分を全否定することを回避していたのだろう。

飲み込んだ言葉もある。わたしが苦しかったのは、収入の少なさや長時間労働だけに起因していたわけではない。ひどく単純化されたようで、不本意で虚しくなった。たぶん、今の仕事を一点の曇りなく愛していたら、腹を立てていたのかもしれない。

でも、別れることを決めた夫(仕事)を擁護する義理もない。夫はわたしの人生の一部であったが、わたしとイコールではない。ひどい夫で、心底別れたいのだから。わたしは疲れている。

知り合いに意地悪されたら、反発して、わたしは怒り狂って元気になる。今回は、見知らぬ人の何気ない言葉にダメージを受けている。わたしは静かに溜め息をつき、自分の人生にうんざりしている。

振り返りには痛みを伴うこともある。でも、その痛みを知っていたからこそ、我々は航路を変更することができる。動けるうちに動くのだ


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佐藤芽衣
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