見出し画像

職場のマグカップ

職場の流しの脇にある水切りや給湯室の棚に自分のマグカップを置いている人は、他人を信用することのできる人だと思う。

はじめに断っておくが、マグカップを誰かに盗まれるとか、割られる心配があるから、他人を信用できない、といった話ではない。

毎日、自分(私物)のマグカップで飲み、そのマグカップを洗ってから退社する、というのは、ある種のルーティンであり、職場でリラックスができている証拠だと思う。少なくとも自分の居場所、いてもいい場所だという確かな感覚、安心感があるのだろう。わたしからすると、職場で一息つけるなんて大物だとすら思う。

わたしは職場をそこまで近しい空間、親しみのある場所だと思ったことがない。ブランケットを持ち込むことはあっても、マグカップを持って行ったことはこれまでに一度もない。

これは潔癖症とは、また違う話なのだが、職場の同僚は、敵ではないが友人でもない。だから、できるだけ食事は一緒にしたくない。仕事として食事をしなければならないときは、食べているが、食べた気がしない。朝一番に出勤して電気ポットに水を入れ、お湯を沸かすことはしているが、そのお湯は滅多なことでは飲まない。共用が嫌なのである。汚いとかは一切思っていない。ただ、同僚のことを仲間だとか、信頼できる人だとは思っていないので、何となく飲みたくない。これは生理や本能に近い感覚で、わたしの動物っぽいところだと思っている。

近くて遠い他人と長い長い時間を過ごす職場。本当に不思議な空間だと思う。

やっぱり、水筒が手放せない。多少、荷物が重たくなっても持っていく。

こんな話、誰にもしたことがないし、今後誰かにする機会もないだろうけれど、世の中にはわたしに似た人もいるだろうから、書いてみた。

(タイトルから、ほっこりする話を期待された方、すまんね)

いいなと思ったら応援しよう!

佐藤芽衣
チップをいただけたら、さらに頑張れそうな気がします(笑)とはいえ、読んでいただけるだけで、ありがたいです。またのご来店をお待ちしております!