映画『すばらしき世界』(2021)の感想
西川美和監督の『すばらしき世界』を2月中旬ごろ、映画館で観てきた。
朝いちの上映回だったため、とても空いていて、集中して鑑賞することができた。
この映画は傑作には違いないのだけれど、それほど大ヒットという感じではないようで、残念に思う。
だって、この映画には、日本社会の嫌なところが、きちんと描かれていて、とても他人事だとは思えなかった。
欧米の映画で描かれるのが他者の冷淡さや傲慢さであるとしたら、この映画にはぬるりとした悪意がある。それは冷酷さとは少し違う。
そして、映画が終わってからの帰り道、ずっとおいおい泣いてしまった。
私はコスモスを受け取った役所広司の、満面ではない、ひっかかりながらも笑顔で応じようとする、大人になろうと頑張っている三上にやられてしまった。その表情が微妙な笑顔であると思ったのは、私の思い込みなのか、役所広司の演技力なのかどうかはわからない。
西川監督は、善良な人々の悪意をさらりと描く。
登場人物に悪人はいない。平凡な人々がそれぞれの事情や葛藤を抱え、損得勘定しながら、生きている。そして、ときどき、他者に牙をむく。
日常にふと現れる暴力とはそういうものだ。生活の中に紛れ込み、潜んでいる。西川監督は、それを強調せずに、善意と地続きのものとして描く。
後見人である弁護士のちょっとしたいい加減さや日和見な公務員、介護職員の人たちの鬱憤も、観客の気持ちをざわつかせる。しかし、三上は彼らと簡単に縁を切ったりしない、我慢強さも描かれる。そこには希望を感じた。(なぜなら、私は短気で、すぐに人をジャッジメントしてしまう悪癖を持っているからだ)
そして、この映画に寄せられたポン・ジュノ監督の「はたして私たちが生きるこの世界が適応すべき価値のある場所なのか」というコメントが、非常に重い。
この世は天国でもなければ地獄でもない。
時に善人のようにふるまい、時に悪人になるのは、何も『すばらしき世界』の登場人物たちの専売特許ではない。我々の日常的な行為に過ぎない。
もう一度観に行こう、と思っていたのだけれど、まだ行けていない。もう一度、映画館で集中して観たい作品である。