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”F”について:無菌室化する現代恋愛漫画:「正反対な君と僕」「アオのハコ」「薫る花は凛と咲く」感想

「正反対な君と僕」が2024年11月25日に完結を迎えた。

週刊少年ジャンプ+で2022年から連載開始された本作は、現代の会話や空気感・恋人同士の丁寧な登場人物の内面描写の表現で人気を集め、累計発行部数135万部(電子版を含む)を超え、2026年1月にアニメ化も発表された。


僕自身、恋愛作品が大好きで、この作品を毎週楽しみに読んできた一人である。
最新話が更新されたら真っ先に読み、特に西 奈津美(にし なつみ)と、山田 健太郎(やまだ けんたろう)の関係性には、「どこまで発展していくのか」と歯がゆい思いをしながらスマートフォンでページを捲っていた。

「正反対な君と僕」の連載と並行して、同じように人気を集め他恋愛作品が「アオのハコ」と「薫る花は凛と咲く」である。

「アオのハコ」は発行部数を500万部を超え、2024年10月からアニメ化されている。(ちなみに僕は、毎週千夏先輩と、千夏先輩を演じる上田麗奈さんの芝居を楽しみに観ている。至福だ。)

「薫る花は凛と咲く」も、発行部数を330万部以上突破しており、2025年にアニメ化が決定している。

これらの作品は現代の若者の恋愛観や関係性の構築に大きな影響を与えていると言っていいだろう。

これら3作品に共通する特徴として、「無菌室」的な関係性の構築だ。

もちろん、「恋愛漫画には性的な描写がなければ不自然」ということを主張するつもりは一切ない。性の描写を導入しない、結婚→家族形成、といった物語のルートを排除しているのは、現代社会に生きる僕達の価値観の変化の現れであり、受容されるべきである。

無菌室とは、外部からのあらゆる菌を完全に遮断した人工的な環境を指す。人体には100兆個を超える微生物が存在し、それらとの共生関係によって健全な生態系が保たれている。しかし、無菌室ではこの共生関係が完全に断ち切られている。

しかし、性に関する描写の意図的な排除は、現代の恋愛漫画に潜む、一種の危うさがあるのではないか、と僕は考える。

改めて3つの作品を並べてみよう。
「正反対な君と僕」「アオのハコ」「薫る花は凛と咲く」の3作品は、いずれも恋愛関係の進展において、性的な描写を意図的に避けている。例え、性の描写を示唆するようなエピソードが登場したとしても、性について強く意識したり、性の進展するエピソードはない。

たとえば「アオのハコ」では、主人公の猪股 大喜(いのまた たいき)と、鹿野 千夏(かの ちなつ)ヒロインは、12巻で付き合い始める。しかし、「付き合う」という恋愛関係が次のステージに進展しても、その関係性は交際前とほとんど変化が見られない。

「正反対な君と僕」においても、カップルとなった後の二人の関係性は、容易に性を意識するような関係性に進むのではなく、むしろ慎重に一定の距離を保ち続けている。

「薫る花は凛と咲く」でも同様に、主人公の紬 凛太郎(つむぎ りんたろう)と和栗 薫子(わぐり かおるこ)が付き合っても、関係性は慎重に一定の距離を保持したまま、停止している。

この「無菌室」的な状態は、現代社会における人間関係の特徴と密接に結びついている。

特に、SNSプラットフォームを介したコミュニケーションにおいて顕著に見られる、表層的な関係性の量産という現象と呼応している。

これらの作品における「無菌室」的な関係性の特徴は、以下の三点に集約される。

第一に、性的描写の意図的な排除。

第二に、関係性の進展における「一定の距離」の存在。

第三に、キャラクター間の関係が「壊れない」安全な領域内にとどまっている点である。

恋愛関係の進展において、性的な要素との向き合い方は避けられない課題となる。

しかし、これらの作品では性的な描写を意図的に避けることで、関係性の深化が特定の段階で停止してしまう。

例えば「正反対な君と僕」では、西奈津美と山田健太郎の関係は交際後も、互いを傷つけないよう慎重に一定の距離を保ち続ける。

この状態は、外部との相互作用を制限された「無菌室」そのものである。

人間関係における「免疫力」は、様々な外部との相互作用や軋轢を通じて獲得されるものである。

恋愛することは、自分以外の人間とより深く関わり、これまでの人間関係が再構築される過程でもある。

しかし、これらの作品では関係性の深化や発展を意図的に制限することで、むしろ関係性の「免疫力」が低下してしまう可能性を持つ。

ここまで論じてきた「無菌室」的な関係性に対して、異なるアプローチを示す作品として「僕の心のヤバイやつ」が挙げられる。

この作品は、現代の恋愛漫画において性的な要素と真摯に向き合って作品である。

主人公の市川京太郎は、性的な妄想に悩まされながらも、ヒロインの山田杏奈との関係を通じて、自身の欲望と向き合い、それを昇華させていく。
そして8巻で2人は結ばれる。

驚くべきなのはその後の展開だ。
上記3つの作品とは対照的に、「僕の心のヤバイやつ」は、10巻で明確に性に関する描写のエピソードで構築されている。
作者自身も巻末のコメントで「付き合うにあたって性への関わりは不可欠」「誤魔化さず丁寧に描いていきたい」と述べており、明確に現代の恋愛漫画において、性の描写とどう関わるか、の作者の方向性が明記されている。

これは先述の3作品における「無菌室」的な関係性とは対照的な発展を示しているのである。

この作品が示唆するのは、現代の恋愛漫画における新しい可能性である。
性に関する描写を回避している恋愛漫画が人気を集め、支持を受けている現在、どのように性と関わり、描写するかが「僕の心のヤバイやつ」に対する、今の僕の一番の興味だ。

現代の恋愛漫画は、SNSに代表される表層的なコミュニケーションの影響を強く受けている。

しかし、それは必ずしも否定的な要素だけではない。

むしろ、現代特有のコミュニケーションの形態を踏まえた上で、いかにして深い関係性を構築できるかを模索する必要がある。

「僕の心のヤバイやつ」が示すように、性的な要素を含めた全人格的な関係性の構築は可能である。

これからの恋愛漫画には、「無菌室」的な安全性を超えて、より豊かでな関係性を描く必要がある。それは同時に、現代社会における新しい関係性のモデルを提示することにもなるだろう。


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