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遅刻しない自分になりたい。ー気づいたことの覚書ー

※こちらは過去記事です。
なんだか前回・前々回・今回の順で上げると、すごい怠けたやつだなwって気がして情けなくなってくる笑

部署移動して、結構自由な営業から、出社必須の内勤になったときのnote。
ここから数年経って、以前より出社必須じゃなくなったのと、
会社もフレックスになって出社の時間の融通が利くようになったので、
今振り返るとなんだか懐かしくなる記事なんですけども。笑

だけど当時は結構真剣に悩んでいて、真剣に考えていたんですね。
こうやって過去の記事を見ると、そういう当時の自分を今の自分目線で見れていいな。

怠けたやつだけど、大した人間じゃないけど、一生懸命。


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最近考える場面がなぜか少なくなっていた、自分の悪い面と向き合う機会が、先日突然現れた。

自分の『遅刻癖』問題である。

確実に自分は世にいう『遅刻魔』だ。


遅刻が良くないことは理解している。

人の時間を奪ってしまうことも、信用を失う恐れがあることも理解している。

遅刻したくないとは思っている。しかし何度も繰り返してしまう悪い癖。


今改めてこの問題とぶつかり、久々に向き合ってみて、仕事については一つの気づきがあった。プライベートについても通ずる部分があるかもしれないと思って、書き残してみようと思う。


私の中の遅刻対策と、意味がない現状について

よく、遅刻しない方法を調べると「準備の時間がたりない。ギリギリで動いている」と出てくる。

実際ギリギリで動いている。

思い返せば小学生の頃からそうだ。前日に翌日の時間割を見て準備しないし、洋服の準備もしないから、当日の朝バタバタしてしまうのだ。

前日にしない理由はもちろん「めんどくさいから」だった。

当日のバタつくことよりも、前日にめんどくさいことをする方を避けていたのだ。めんどくさいから。当日ならやるしかないから。


この点は大人になっても同じようで、前日のうちにやろうという発想にはならない。どうしても今日はこのまま寝たい欲が勝ってしまう。


その代わり、当日は余裕を持って動こうとは考えるようになった。

「この準備にこれだけ時間がかかるから...」と、余裕を持って計画し、ちゃんと朝起きて計画通りの行動に取りかかる。

しかしだ。余裕を持つことで逆に気持ちが焦らず、気が付いたときには時間が過ぎていてギリギリになる。

バスも電車も、いつも少し早めのに乗ろうとするが、乗りたい時間に間に合わない。諦めて次のにしようとなれば、その時間までゆっくりしてしまい、気が付いたらギリギリ、もう一本あとにするしかなくなる。そして遅刻する。

仕事もプライベートもこんな感じ。


「やることちゃんとやってるんだからいいよね」

プライベートと仕事のときの遅刻に対する気持ちを考えたときに、意識の違いがわかった。


プライベートでは、本当に相手に申し訳ないと思っていた。

遅刻がデフォルトになってしまっているのだろう。責められることはないけれど、時によっては自分の生きる価値を考え、絶望するレベルで申し訳ないと思うこともある。


一方仕事ではどうだろう。クライアント訪問はいつもギリギリに滑り込み、遅刻することはなかったが、それ以外の仕事は「やることをちゃんとやればいい」というこれまでの上司の考えから、自分自身も同じ考えになってしまっていた。

新しい部署に異動して、先日いろいろ言われて、「なんで数分の遅刻でこんなに責められるんだろう。悪いとは思ってるけど、やることやってるし、その分遅くまで働いているのに」という考えを抱いてしまったことに、この記事を書こうとした瞬間にハッとした。これは、これまでの上司が言っていたから、というより、自分も上司と同じような考えだからだと思う。

自分でない人が同じことを言ってきたら「ごもっとも!!」と言ってしまうが、それはあくまでも自分のスタイルだ。

何を大事にするかは人によって違うし、部署や会社によっても違う。

今の部署で自分のような人が増えたらどうだろう。秩序がなくなる。今の部署は「結局どうだったか」ではなく、秩序を守ることが大事な部署なのだ。


今の部署に所属するならば、これまでの部署のスタイルや自分のスタイルではなく、今の部署が大事とする秩序を自分も守らなければいけない。

そう思うと、先にあった自分の「やることやってるのに。その分遅くまで居るのに。」なんて考えは今の部署では全然意味がなく、その考えで遅刻したマイナスを埋めることはできない。遅刻したマイナスはマイナスでしかないのだ。埋める方法がないのならば、マイナスにならないように気をつけるしかない。

信頼を失うばかりで、許されることはないのだ。それでは今の部署に居辛すぎる。困る...


(結局危機感が足りないんだろうな。)

先に書いたように、プライベートでは許される、とは思っていない。

そう思って遅刻してしまうわけではない証拠に、自分が楽しみにしているジムにすら間に合わないときもある。誰に迷惑をかけるわけでもないが、自分で自分に絶望する。


けど、失った友達もいなかった。

みんな優しくて、(実際どう思っているかわからないし、だから恐れて申し訳ない気持ちになるのだが)「了解ー」と言ってくれる友達に、危機感は薄かったのかもしれない。自分の意識下では甘えているつもりはないが、無意識下で甘えてしまっているんだと思う。(あとは、自分は遅刻されてもなんとも思わないっていうのもあるんだと思う。)


もし今の部署のように、遅刻を「許さない!」という友達がいたら。

怒らせたり悲しませてしまっていたら。

「いちごあいすちゃんはいつもそうなんだから~」ではなく「信頼できないな」とどんどん離れていってしまったら。


そう考えれば、これからの行動も変わるのかもしれない。

気の知れた友達で、優しくて、私をいつも受けて入れてくれてるとわかってしまっているし、無意識下での甘えだから難しいかもしれないけど。


いつか訪れてしまうかもしれない。その時に後悔しないように、今日の気づきを無駄にしないように意識して動こう。


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