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1000円に対する価値観

私にとっての1000円の価値観について書こうと思う。


かの、パート先のお時給が1000円ちょっとだった。
ゆえに、それが私にとっての1000円の重み。

つまり、1時間かの仕事をして、これにお金を出したいかどうか、
が自分にとっての1000円に対する基準である。


事珍しく、この頃の憂さ晴らしに飲食店へ行った。
基本的に倹約家なので、外食は、何年振りかという感じであった。

お食事が運ばれてきたので、滅多にない経験を味わっていたのだが、
ふと、気づいてしまったのは、お皿の洗い残しである。。

なんか、嫌だなって。

自分が食べている料理には入っていないものだったので
明らかに前の人の食器の洗い残りだし、どこの誰だか分からない人の食事の残骸と共に料理を口に運ぶって、なんだか心地いいものではない。

それに、隣の隣にいた若いママ友たちの会話が全部丸聞こえで(つまり、うるさいということ)。

これに1000円と少し、出したことについて、なんだか気持ちがどんよりしてしまった。

私、〇▲※■さん(パート先の嫌だった人)に1時間嫌味言われてでも、
このレストランにお金出したかったかな??って自分に問いてみる。

答えは…………、NOだ。



いい勉強ととるか、やだなぁで終わらせるかは、自分次第だけど、
今回の事で、外食は自分にとって、
そんなに価値のあるものじゃないなと改めて思った。

コンビニでプリンを買ってきて食べたり、
お気に入りのパン屋さんでパンを買って、お天気のいい日に外のベンチで食べたり、家でバター醤油ご飯食べたりする方が、少ないお金で、その何十倍も美味しさを得られる。
(個人的統計です。価値観の選択は、あくまでも個人の自由です。)


たとえ他人に、そんなのつまらないと言われたって、

私は、自分にとっての心地よさを大切にしたいと思う。