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○○峠の都市伝説 下書き 2018.5.6


 看護婦さん、おれはあとどれくらいもつんだい?なに、隠さなくたってわかるさ。
 自分の体だから、とかそう言う話じゃあないんだよ。一つ、話を聞いちゃくれねえか。もともとおれはこいつごとあの世に持っていくつもりだったんだが、おれも歳だな。我慢がきかなくなっちまった。

 四十年も前のことだ。おれは若かったし、時代も時代で、走り屋みたいなことをしてたんだ。仲間たちと高速とか峠とかを、ハチロクとかシビックとかで飛ばしてたんだ。
 度胸試し、かな。おれもわからない。まわりがそうだったからおれもそうしたみたいなことさ。人生ってのは、今になっちゃわかるが、川の流れみたいなもんだ。知らない間に流れに入っちまえば、もう逆らえない。そこに流されているものの意思にかかわらず、だ。そして川は支流に行けば行くほど流れが速くなって、その先が海か湖か。はたまたべつの川に合流するのか。誰にもわからないんだ。

 そのころ、おれらはある峠を何度も走ってたんだ。カーブが多くてな。そこを一周するタイムを測ったりして技術を磨いたんだ。ベストタイムを叩き出せばその名はあっという間に広がる。どこどこのだれだれがあの峠で何分とかいうタイムを出したぞ、って一目置かれるのさ。
 名声、だな。金もない、生活もままならないおれたちはぐれものには、それしかなかったんだ。実際、おれの仲間の一人にタカフミってやつがいてな。そいつがベストタイムを持ってたんだ。どこの誰でもそいつに生意気なこと言うやつはいなかった。いつも取り巻きを引き連れてたんだ。
 ほとんど毎晩そこにたむろしてたな。生活するにも金が必要だろ。昼間の間はみんな働いてんのさ。おれも水道屋で働いてたんだ。日々の鬱憤を、あのマシンが、スピードが、きれいに忘れさせてくれんのさ。

 もちろん事故も多かった。死んだやつも何人も知ってる。皮肉なことに、そいつらのおかげで一般車は近付かなくなって、おれたちの練習場が出来上がったわけだ。
 人が死んだって気にしちゃいなかった。死んだやつに顔向けできないとか、そんな立派な話じゃねえ。誰も気にしていなかったから、おれも気にしなかったんだ。恐らくみんなそうだったんだろう。酔ってたのさ、あの空気に。

 ある日のことだ。いつも通り峠の麓に集まると、どうもさきに集まってた仲間たちが騒いでいた。話を聞くと、ベストタイムを更新したやつが出たらしいんだ。
 何人もそこを走っていたが、ベストタイムを更新するやつなんてそうそう出やしない。そうだとしても、異常な騒ぎっぷりだったんだ。その前のベストタイムを出したタカフミがいたからな、そのせいだと思ったんだよ。
 だがよく聞くと、そいつはなんと前のベストタイムより二十秒も速く一周したらしいんだ。
 そんなことは今までなかった。せいぜい五秒とか、そんなくらいだ。なんせある程度攻略法は煮詰まってたからな。

 その二つがちょうど噛み合って、仲間たちは躍起になってた。このままでいいのかよ、おれたちの名折れだぞってな。
 恥ずかしい話だが、おれはもともと速い方じゃなかったからな。その話に興奮したのは確かだが、タイムを破ってやろうなんてことは考えなかった。だが、さっきも言った通り、仲間たちは違ったんだ。
 あいつらは気張ってその峠を走った。だが、ベストタイムなんてそうそう出やしない。出ないからこその名声だからな。結局明け方まで走って、誰一人破れなかった。

 そうしてだんだん諦めムードがおれたちを包んでいったわけだが、例のタカフミは違った。
 おれはこのまま帰れないって、周りが帰りだしてからも一人で何周もしてたのさ。怖かったんだな。名声を失ってしまうのが。名声はおれたちの価値っていうか、アイデンティティっていうか、そういうもの全てだったからな。
 そのうえタカフミは出来たやつじゃなくてな。その、性格がな。酒を飲んで暴れたとか、ガキの出来たてめえの女の腹殴ったとか、いちゃもんつけてきた相手を刺したとか、いろいろ噂があった。
 僻みから出たモノがほとんどだっただろうが、なに、火のないところには煙は立たないっていうだろう。そういうこった。まあ、タカフミは否定しているけどな。
 タカフミの親父はいい歳して会社では下っ端でな。目上にぺこぺこ頭下げて会社に残してもらってたらしいんだ。そんな情けねえ父親を見て母親は家を出てっちまってな。その時の親父と自分が、こう、ダブっちまったんだろうな。名声がなくなっちまえば、仲間たちも失う。あいつはそう考えてたんだと。

 太陽もほとんど顔を出して、周りが明るくなった頃だ。なかなかタカフミが峠から降りてこねえんだ。初めは諦めて流してんだろうとか言ってたんだが、何十分経っても戻ってこねえ。どんなにチンタラ走ったって十分そこそこで一周できるとこでな、おれたちはだんだん心配になって、峠を登ってみたんだ。
 その峠に一番きついカーブがあって、おれたちはエガワって呼んでたんだけどよ。そこまでいくと、あいつの乗ってたシルバーのハチロクが、ガードレールに突き刺さってんのが見えたんだ。
 顔の血の気が引くのがわかったよ。そこまで行って車から降りると、みんな粘土みてえな顔色しててよ、サトシなんか歯が震えてガチガチ鳴ってやがった。
 走って近づいてみると、バイクと人も転がってたんだ。ほら、もう夜も明けてただろ?夜の間はおれたちがいるから人なんか近づかねえんだが、朝になれば誰も走りやしない。通勤やなんやらで対向車が来るからだ。
 タカフミはインを攻めてたんだろう。そこにきた対向車のバイクを避けようとして、ガードレールに突っ込んだんだ。幸い接触はしてないみたいで、バイクの兄ちゃんの方は意識があったんだ。もちろん大怪我だったろうが、死んでなかったから心底ほっとしたよ。

 だが、肝心のタカフミがいねえんだ。おれたちは周りをなんべんも探したよ。答えなんかみんなわかってた。ハチロクのフロントガラス、運転席側がひどく割れて穴空いてやがんだ。だが誰も認めたくねえんで、知らないふりしたんだ。
 そのうち警察が来てな。サイレンが近づいてきて慌てて車に乗って、家に引き返したよ。

 あのあとどうなったのか、おれは知らない。仲間とも一切連絡をとってねえんだ。知りたくなかったからな。すぐ遠いとこに引っ越したんだ。
 タカフミがどうなったかって?そりゃ──ああ、わりいな、話はここまでだ。
 なに、話したかったことはほとんど話したさ。だからあんた、はやくここから出ていきな。
 気を悪くしないでくれよ。これは優しさだ。あんたにはきこえないだろう?あのマシンの遠吠えが。ブレーキ音が。バンバン言う、鳴き声が。



──そしてあなたは病室を出たと。

 はい。

──なにか他に変わったことはありませんでしたか?

 はい...... あの、信じてもらえるか分かりませんが......一つだけ、おかしなことがあったんです。

──おかしなこと、とは?

 誠さんの病室を出る時、私見たんです。閉まる扉の隙間から、誠さんのベッドの足元に、なにか、赤い濡れた毛布みたいなのがあったんです。恐ろしくなってすぐステーションに戻ったんですけど、あれはもしかしたら、タカフミさん、だったんじゃないのかって...



 以上、早川誠と最後に会話した北山典子のインタビュー内容である。早川は北山と会話した翌日、病室から姿を消した。後日捜索によって○○峠から離れた川辺で、遺体で見つかった。本流は○○峠から来ているらしい。
 なお、当時の警察の記録によれば、例の林孝文の死体は見つかっていなかったそうである。

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