戯言#5 うんこ味のカレーか、カレー味のうんこか
皆さんこんにちは、堕落です。東北は梅雨に入り、汗が揮発せずにまとわりつく季節ですね。そのうえ低気圧。いったい誰が健康でいれるというのだろうか。頭痛いし喉痛いしで最悪な日々です。ウチでは体調不良の時こそ飯を食え、という家訓的なアレがあり、飯を食っているわけなのですが、最近のところ胃腸が弱り爆食にも耐えられず、どんどん体調が悪くなっています。体調が悪いとタバコがおいしくないんすよね。くそう。
うんこ味のカレーか、カレー味のうんこ、どっちを食べる?
人生で一度はこんな腐った刺身みたいなカス質問の答えを真剣に考えたことがあるはずです。ちなみに私はうんこ味のカレー一択ですが。
よくメロン味のソーダとか、焼き肉味のスナック菓子とかあるじゃないですか。でも実際それってそういわれてるからそう感じるだけで、何も見ずに食べたら何味かわからないと思うんですよね。俺はうんこ食ったことないからうんこ味のカレー食っても「まずいカレーだな」としか感じないと思うのよね。とりあえずこんな質問をはじめに考えたやつはインド人に謝れ。(インド人を右に)
「誰が言ったかではなく何を言ったか」とか「don't judge a book by its cover」とか言いますよね。どちらも見た目ではなく本質で判断しようね~みたいなニュアンスだと思うんですけど、まさにこれです。うんこ味のカレーだってカレー味のうんこだって、本質で判断すればうんこ食うよりカレー食った方が良くない?うんこってほら、汚いし悪い細菌とかいそうじゃん?
まあ戯れはここまでとして、何かを知ろうとするとき、その見た目ではなく中身で判断することが重要だと思います。以前『隷属しない言葉たち』でも書いたと思いますが、知識に対してどれだけ柔軟でいることができるか。これが重要だと考えています。
そもそもなぜ知識を得ることが重要なのかといいますと、知識や学問というものはその人間の生活やこれからをより豊かにするためのものです。決していい大学に入学するためや、いい企業に就職するため、他人にひけらかしてボットン便所のクソ溜まりのようなマウントをとるためのものではありません。
例えば何かを鑑賞するとき。例えば何か決断を下さなくてはならないとき。例えばまた何か新しい知識を得ようとするとき。例えばそれらの知識を統合しようとするとき。そういうときにこそ知識は役立ち、そしてあなたを豊かな世界へと導くのです。そしてそういった世界というものは、だれにでも共通のものではありません。あなたが好ましいと思う世界に広がってゆくのです。ていうかそもそも嫌いなことを知ろうとはしないし嫌いと好きは表裏一体だしっていう話はまた今度にします。
うんこには悪い細菌がいるという知識があるから、カレー味のうんこを食べるという決断にはいたりませんでした(確か揚げたりすれば食えるとかなんとか)。まあなんか、そんな感じです。正しく判断するには知識をつけようねって話。あとうんこ出にくい人は水分を多くとるといいらしい。ウチに伝わる奥義としましては、三本入りのラブレを全部一気飲みするというものがあります。胃腸の飽和量を超える善玉菌が飛んだり跳ねたりして、もうね、すごいよ。もうあのね、きれいに例えるならイグアスの滝って感じ。色的にも。ぶりり。