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私が見た南国の星 第3集「「母性愛に生きて」⑤

いろいろな社員の名前が出てきます。どんな子なんでしょう。想像しながら読んでください。

阿妹の退職


 ところが、会議が終わり事務所へ戻った私の事務所に客室部の責任者がやって来て、
「ママ、すみません。私は、この仕事を辞めたいです。自信がありません」
と言い出し、手に持っていた一枚の紙を差し出した。その言葉を聞いた時は、差し出された紙が「辞表」だと分かった。退職理由は、彼女の言ったとおり仕事に自信がないということだった。わたしは直ぐに受理する事が出来なかった。彼女には本社へ報告をしなければならないと言い、数日待ってもらうことにした。彼女の場合は、オープン当初からの社員だし、管理者という立場なので本社の同意が必要だった。数日後、本社の同意が得られたので、彼女を事務所に呼んで、
「阿妹、本社も同意をしましたので受理します。あなたの場合は年数が長いので、少しですが退職金が出ます。引継ぎもありますから一週間後の退社でも良いですか」
と尋ねると、彼女も理解をしてくれて、安心したかのようにニッコリして、事務所を出て行った。また一人の家族との別れがやって来てしまった。
 彼女と初めて出会った2000年2月26日のことは、今でも忘れられない。寒そうにしていた私に暖かいお茶を入れてくれたのは彼女だった。そして、休暇で実家へ戻った時に、私のためにと取りたてのバナナを持って来てくれたのも彼女、阿妹だった。
 一週間後の朝、彼女がホテルを去る日が来た。彼女とは姉妹のようにとても仲の良かった「黄暁燕」は、寂しさに堪えきれず涙ぐんでいた。二人は毎日一緒に楽しい寮生活を送っていたので、暁燕の寂しい気持ちが理解出来た。阿妹は、私の部屋へ来て最後の挨拶をしてくれた。
「ママ、今日まで私のことを心配してくれてありがとうございました。私は本当に幸せでした。お世話になりました。ママは私にとって生涯忘れられない日本のお母さんです。いつまでもどうかお元気で。再見!」
その言葉は今でも私の心の中に存在している。
 私の海南島生活も、終止符を打たなくてはならない日が必ずやって来る。そして、ここの家族との別離がやって来る。分かっていても、共に生活した家族との別離は本当辛い。彼女が私に見せた最後の笑顔は、七仙嶺で見た星と同じくらい綺麗だった。その後、彼女は実家の農業を手伝い、二年後の2004年に結婚した。彼女の夫は、以前このホテルで働いていた料理人だった。今では二児の母になって幸せだと聞いている。
 数年後、七仙嶺が冬を迎えた頃、このホテルが廃業する前日のこと、彼女から久しぶりに電話が掛かってきた。私にとっては、寂しさを紛らわせてくれた電話だったが、感無量で言葉が続かなかった。あれからずいぶん長い時が過ぎたが、彼女はどうしているのだろう。
 阿妹がいなくなってから、客室部の責任者を誰にするのかという問題で、阿浪と協議をしたが、結局、しっかりした管理者候補が見つからず、フロント部の責任者である黄暁燕が二つの部所を管理する事になった。しかし、彼女はレストラン部のホール管理もかけ持ちしていたので、毎日の業務に疲れ果てていた。私の前では決して疲れを見せることはなかったが、ある日の夕方のこと、貧血を起こして歩けない状態まで体調を崩してしまった。暫く静養をさせなければと思い、実家へ帰すことを決めた。しかし、彼女は責任感が強く自分の仕事に誇りを持っていたので、帰ろうとはしなかった。
「ママ、二日間だけ休ませてください。私は、このホテルに居たいのです。お願いします」
と言った。彼女の真剣な顔と、このホテルを思ってくれる気持ちに私は感謝した。
 彼女に静養させると言っても、このホテル内にある社員寮では、ゆっくり休む事は出来ない。私は客室で休むように言ったのだが、断られた。
「ママ、私は一人きりで寝たくないです。それと、私は客ではありませんから」
と、寂しそうな顔で言う彼女に負けてしまった。貧血で体調を壊しているのに、このホテルを思う熱意には本当に頭が下がる思いだった。
 日本に憧れていた彼女は、二日間の静養中も日本語の勉強をしていた。ベッドに横たわって日本語の勉強をしている彼女を見て、自分が恥ずかしくなった。とにかく、早急に後任の責任者を決めなければならないと思った。将徳理は客からの評判は良いのだが、部下の管理には不安がある。しかし、今はそんなことを悩む時間はなかった。業務管理を少しずつ教えることにして、将徳理を客室部の責任者にすることにした。

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