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私が見た南国の星 第6集「最後の灯火」⑰

馮さんのお母さんとの別れ

 この年には悲しい事があった。馮さんの母親が、他界をされてしまったのだ。あんなにも元気で過ごされていたのに、私には本当に信じられなかった。8月中旬ごろ、お母さんは風邪を引いて、9月初旬になっても治らず診療所に通院中だったという。ところが、あまりにも治らないので大きな病院で検査をすると、担当医より
「これは直ぐに入院しなければなりません。検査をしなければ断定できませんが、おそらく肺癌でしょう」
と診断された。私は二度ほどお見舞いに行った時は、とてもお元気だったので信じることが出来なかった。入院されてから数多くの検査をしたそうだが、癌細胞は検出されなかったが、死亡診断書には肺癌となっていると馮さんから聞き、怖くなってきた。お母さんは、この年72歳だったそうだが、風邪で入院されて一ヶ月も経たないで亡くなってしまった。私が最後に会ったのは、亡くなる前日だった。その時は、笑顔で私の言葉にもうなずかれるほどだったのに、急変されるとは本当に信じられなかった。海南島の医療は、かなり誤診も多いと私自身も感じているが、現地の人間もかなり疑問を持っていると聞いている。命に関わる重大な問題なので、中国では病院選びには苦労する。このお母さんの死は、馮さんにとっては大ショックで、暫く悲しみから抜け出せなかった。私も、そんな彼女の気持ちを理解していたので、電話を掛ける事も遠慮していた。冠婚葬祭も町によって風習が違い、彼女の故郷では病院で亡くなった人は、故郷の家の中へ遺体を入れられないのだと言う。だから、亡くなって直ぐに故郷に搬送して埋葬をしたという。亡くなって12時間も過ぎていないうちに埋葬をするとは信じがたいことだ。そして、この地域では近隣の住民は誰一人として葬儀に参列をしない。霊が怖いのだそうだ。だから、親戚でも葬儀に参列しない人がいると聞いた。故人にとっては本当に寂しい事だが、その地域の風習なのだから逆らうわけにはいかなかった。私は大変お世話になった方なので、是非とも参列をしたかったのだが、友人にも忠告されて諦めた。あの悲しい出来事から四年が過ぎた。馮さんの心の奥底には、あの優しかった母の面影がいつまでも残っていることだろう。

 

日本人会メンバーとの別れ

 こんな悲しみを乗り越えて、2008年も過ぎ去っていった。その翌年は、比較的平凡に暮らせたような気がする。苦しい事や悲しい事に遭遇した記憶がない。ただ、この年に寂しかった思い出は、日本人会で知り合ったご夫婦との別れだった。このご夫婦は長年この海南島でご活躍をされていた。子供もいないせいか、何処へ出かけるにもお二人一緒だった。その光景は本当に羨ましいほどだった。旦那様は大手商社の方だったので、海外赴任も数多く経験されていて中国語も堪能だった。奥様は、海口市の短期大学で日本語の講師をされていた。年齢的にも同世代だったので、私には心強い友人だった。彼女が休日の時などには、一緒にお茶を飲んだり、食事をしたりと楽しかった日々が思い出される。日本人会の会合には、いつも夫婦揃っての参加だった。口数の少ない旦那様だったが、奥様を気遣う優しい男性だった。奥様は、とても明るく元気の良い女性だったので、中国人からも慕われていた。そんなお二人も、この年には海南島を引き揚げることになった。数年前から旦那様の体調の事を心配されていたが、旦那様の会社定年を機に帰国されたのだった。お二人と楽しい会話は、日本人会の送別会の日が最後となった。しかし、今でもメール交換や電話を交わすという関係が続いている。日本へ帰国しても、相変わらず仲の良い二人だそうだが、いつまでも幸せに暮らしてほしいと願っている。こうして毎年のように、日本人会のメンバーは、次々と帰国をされてしまい私一人だけが取り残された気分になっていた。


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