私が見た南国の星 第5集「走馬灯のように」⑥

問題児の将君ともお別れの時が来てしまいました。本当に社員管理は難しいものなんですね。上に立つ人はやっぱりすごいと思います。

将徳理との別れ


 週末だけは満室となっていた4月頃の出来事だった。日曜日の午後からは、毎週のように社員たちと共に、館内の清掃や庭木の手入れに精を出すのが日課だった。この日は天気も良くて、社員たちは庭木の手入れや、水撒きに精を出していた。私も一緒に草取りをしたりして、社員たちとの交流を深めていた。
そして、休憩中の社員たちの楽しそうな顔を見て、一人で楽しい気持ちになっていた。
 いつも作業が終わると、社員たちと一緒にミネラルウオーターを飲みながら、会話をするのが私の楽しみの一つだった。
「あれぇ、今日は将徳理がいませんでしたね。休暇ですか」と、近くにいた社員に尋ねると、
「はい、今日一日だけの休暇です」
と答えたが、私は不思議には思わなかった。
夕方になり、事務所に戻って伝票に目を通していた時だった。ホテルの入り口付近から騒音が聞こえてきた。
「うるさいね、誰なの?オートバイの騒音を出しているのは」
と言いながら事務所を出て外を眺めると、入り口の門の前で保安係りと話をしている将徳理の顔が見えた。彼はオートバイの運転席でハンドルを握って、後部座席には友人が二人乗っていた。けれど、将徳理は運転免許証を持っていない。当然、法律でも無免許として扱われるが、田舎なので無免許運転は多かった。しかし、この会社の規則では、違反なのだから処分は免れない。 
 彼も私に気がつきオートバイから離れたが、すでに遅かった。
「将徳理、何しているの!」
大声が山林まで響いたのか、小鳥たちが一斉に樹木から離れて、一斉に飛び去って行った。彼の近くまで行くと、また酒の匂いがプンプンしていて、顔は真っ赤に染まっていた。
「ママ、こんばんは。今日は休みですから友達と一緒に食事をしてきました」
と、酔っていて、呂律が回らず言葉もはっきり言えなかった。
「バッシーン!」
私の手が飛んだ。それを見ていた友人二人は、慌てて私の方へ向かって来たので、
「あなたたちも私に叩かれたいの」
と言ってやった。でも彼等には、その言葉が腹立たしかったのだろう。急に海南語で何やら言ったが、将徳理が止めた。
「いいですか、休暇だからといって何をしても良いのではありませんよ。明日は、あなたの処分について決めますが理解は出来ますか」
というと、彼は酔ってはいたが、納得できたようだった。
 この事実を阿浪に説明して、彼から言い分を聞くように指示をした。一夜が明けて、朝早くから事務所で待機していた私の所へ将徳理がやってきた。
「ママ、昨日は本当にすみませんでした。これから気をつけます」
と頭を下げた。しかし、彼は以前から問題を起こしてばかりいたので、今回だけは簡単に許すことが出来なかった。
 そこへ阿浪がやって来て、日頃の業務について、将徳理に説教を始めた。すると突然、
「私は誰の言うことも聞きません!ママ以外の人に言われるくらいだったら、ここの仕事を辞めます」
と大きな声で阿浪に言った。阿浪の言うことが聞けないという彼を、このまま雇うわけにはいかないと思い、
「将徳理!阿浪は私の代理ですよ、副総支配人の言うことが聞けないのであれば、直ぐ辞めても構いません」
と、私は彼の目を見つめながら宣告をした。
「はい、わかりました。私はママに何度も叩かれましたが、自分を思ってくれているからと理解してきました。正直、私の母よりも自分を大切に考えてくれました。心から感謝をしています。でも、他の人の説教は聞きたくないです。だから辞めます。お世話になりました」
直立不動で、自分の気持ちを言った彼は、深く頭を下げて事務所から出て行った。阿浪は、
「これでいいのですか?」
と一言だけ言った。そんな彼に、私は無言でうなずいただけだった。
 将徳理は、とても手のかかった子供だったが、仕事はよくやってくれた。クリスマスの日に踊ってくれたあのダンスの、あの艶やかな姿はもう見られない。今まで一緒に笑ったり、泣いたりした年月を思い出すと切なくなった。彼を何度も叩いて育ててきた私だったが、最後にホテルを出て行く彼の姿を思い出す度、涙がこぼれてしまう。
 それから半年が過ぎた頃、隣の五指山市で、警察官補助の仕事をしているといって、制服姿で挨拶に来てくれた。
「ママ、お久しぶりです。私は現在、公安局で仕事をしています。今は正式な警察官ではありませんが、努力をして頑張ります」
と元気よく報告をしてくれた。そして、帰る間際に、
「私は、ママの側で生活が出来たことを、大変誇りに思っています。心から感謝を忘れません。あなたは私にとって、永遠に忘れることが出来ない大切な母です。日本のお母さん、いつまでもお元気で!」
と流暢な日本語で言った。その言葉を聞いた瞬間、涙が出そうでしたが、作り笑顔でごまかしていた私だった。その時、「あの子を何度も叩いたけれど、私がした教えは間違っていなかった」思った。ホテルが廃業になってからは一度も会っていないが、きっと立派な警察官になって頑張ってくれていると今でも信じている。
 私の海南島生活で築き上げた家族の絆は、どこの家庭にも負けないと自信を持って言える。たくさんの子供を育てて、それぞれが巣立って行った。どの子も頑張って生きている事だろう。私には、それが宝だ。そして海南島の夜空に光る星のように、彼等の人生も明るく輝いてほしいと、それが私の願いなのである。
 こうして、また一人の子供が私の側から離れて行った。彼がいなくなっても、ホテルには数多くの子供がいるのだから、メソメソしている場合ではない。
「さぁ、私も子供に負けないように頑張ろう!」
満天の星を眺めながら、大きな声を出して自分に言い聞かせた。
あの日に見た星は本当に綺麗で、まるで私のために輝いてくれているようで嬉しくなった。七仙嶺の数年間、この星たちに囲まれて生きてきた私の人生は、誰よりも幸せだったと今でも思っている。何度も転んでは起きて、立ち上がってこられたのも、この星たちのお陰なのだ。そして寂しかった私の側には、いつも蛍たちが見守ってくれていた。


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