大泣きで始まった今朝の気付き✍️
なんのこっちゃの題名から
どう切り出して書こうかな。
今朝、
グルグルモヤモヤがやってきて
頭の中で考えたというより
携帯メモしていったら
だんだん理解が出来るようになったことがあった。
それは、、私は「今」を否定して生きていたという気付きだった。
人から” 幸せになってね ”と言われた時
決まって感じていた違和感。
その違和感をこれは何だろう?と思ってはいたものの、まぁいいや気のせいとして
見ないで来たのよね。
でも、幸せになってねって言われて
そこに何もない人ならただありがとうだし
その言葉を受け入れることが出来ると思うんだ。
それが、私には出来なかった。
お前に何がわかるんだよって気持ちになったり、なんでお前に幸せの定義を決められて幸せにならなきゃいけないんだってひねくれて受け取ったり。(正確には受け取れていない)
でも、この原因が
「今」という瞬間をいつも否定していたってことに今朝気づいて衝撃だった。
どんな日々にも、いつも今この瞬間には
たくさんの幸せが広がっていたのに
私の心はいつも、「もっと良くならなきゃ」「もっと頑張らなきゃ」「もっと今より確かなものを掴まないと」みたいな想いがずっとあった。
今より更にいい物を。
今より更に素敵な場所を。
今より更にいい経験を。人を。状況を。って
今よりこれからでしょって、いつも
今を否定してた。
今より、未来の方にいい物があって
今より、未来の方に大切なものがあるって信じ込んでた。
どんなに良い物や状況に身を置かれていても
どんなに良い人や経験を味わわせてもらっていても
それ以上がどこにあるのか
まだ来てもいない、来るかもわからない未来にばかり思いをはせてばかりだったなと。
だから、今という瞬間にある宝物を
ザルのように取りこぼし続けて
ないないないない
未来に早く行けたなら、
あるあるあるあるになれると思ってたんだ。
私は受け取ることが下手だった。
何かを人にしてもらっても
いつも”申し訳ない”と思ってた。
人に良いことをしてもらっても
そこには、感謝しろよ、こんなもの貰えるのは有難いことなんだぞ、こんなふうにしてもらえるのは当たり前じゃないんだからな、てな感じのエネルギーや、
これやってあげたんだから、これやってねみたいな取り引きのようなエネルギー。
そういうものを感じるのが辛くて
相手が差し出してくれているものを通じて相手が私に求めているものを感じとってしまう
そういう感覚があって
私に相手が求めているものを私は差し出さなきゃいけないみたいな感じがあって
有難い喜びとして受け取るのではなく
求めているものを差し出せるか、期待に応えられるかわからないから
期待に応えられるかわからないけど、期待に応えられなかったらごめんなさいって罪悪感に変えて受け取るのが癖になってた。
受け取るなら、同等なものを差し出さなきゃいけない
してもらったことは、返さなきゃいけない
やられたなら、やり返さないといけない
そんなプレッシャーも感じてた。
今書いていて思ったけど
やられたらやり返せ!ってことは
周りの大人に言われていたことを思い出した。
友達にいじわるされた時
「やり返せ!」と言われた父からの一言。
今思うと励ましの意味で伝えてくれた言葉だろうけれど、
やり返せない自分が居て、
それがダメなことだと思ったんだ。
ここで一つの思い込みをつくったんだな。
いつしか
罪悪感を感じたくなくて
ならいっその事、受け取らない方が
その罪悪感を感じなくてすむから
網目の大きいザルに変えたんだろう。
私は小さな頃から敏感なタイプで
色んなことを繊細に感じる人だった。
いちいち感じてしまう自分を他者にはわかってもらえない。こう感じると伝えてみても共感してもらえない。だから、感じる自分にしんどさを覚えて、自分がおかしいんだとも思い込んだ。
同じ出来事を通しても、みんなは感じないような些細な悲しみも
みんなが何も思わないような些細なことでも
自分は感じている。
それが嫌で、話すと気にしすぎだと言われ、
みんなと同じように感じなくするには
どうしたらいいのかと本気で思ってた。
だから、たぶん
生きていく中で感じなくする術を覚えていったんだろうな。
今思うことは、私の繊細さを取り戻したい。
たくさん感じてしまう感覚を
復活させたい。
今ならわかる。
感じることが私の世界の全てだということを。
今朝、自分自身に心から詫びた。
呼吸をしてくれてありがとう。
休むことなく働いてくれてありがとう。
思ってくれてありがとう。
考えてくれてありがとう。
感じてくれてありがとう。
動いてくれてありがとう。
廻り続けてくれてありがとう。
創りだしてくれてありがとう。
教えてくれてありがとう。
応えてくれてありがとう。
与えてくれてありがとう。
受け取ってくれてありがとう。
生きていてくれてありがとう。
命よ、ありがとう。
よく頑張ってるよ。
よく生きてきてくれたね。
生きてるだけで偉いよ。
何かが出来たから凄いとか
何かがやれたから価値があるとか
何かがなくてはダメだとか
そんなことなんてどうだっていい。
あなたが存在することが
既に奇跡であること。
身体を撫でながら伝えた。
そしたら涙が溢れてとまらなくなって
色んなシンクロを感じるものたちが
現れた。
その中の一つで
きっと何かの縁深いものを感じる人との出逢いがあって、すごく喜びを感じた。
そんな今日は、
おじいちゃんの月命日でした。
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