引き算の概念①〜日本人の本質に立ち返ると幸福がわかる〜
足しすぎて不幸になっている。
もしくは、
足さないと不幸だと思い込んで不幸になっている方が多いのではないか。
江戸時代の日本には
「どこまで引けるか」
という「引き」の概念のかっこよさがあった。
今一度、江戸時代に立ち帰ろうよ
という提案をさせていただきたい。
江戸時代、
糠を使って垢を取ることが流行った時代があったそうだ。
糠を塗り過ぎて逆に不調を来したらしい。
さぞ笑い物になったことだろう。笑
引き過ぎは笑われる。
話は逸れるが、
垢だしをしようと努力する→肌が荒れる
という不調和。
こうした不調和を純粋に笑える日本人の感性が好きだ。
後腐れのない笑い。
まぁまぁ、次氣をつけなよ!
みんなの教訓になったよ!
といった具合だったのではないかと思う。
さらに、またいつかの酒の席でその話は使われて、笑い話として昇華される。
これが日本人という民族だ。
なんと明るい民族か。
日本人に本来いじわるな人などいない。
いじわるは外来種だ。
菜食になり、日本語を正しく話し始めたら、日本人の本来の明るい国民性は復活するのだ。
話を元に戻す。
足し過ぎは野暮だと言われる。
だからといって
日本人は引き過ぎも見逃さないのだ。
何が基準か
己の審美眼1つなのである。
感性がものを言う国、それが日本なのだ。
この概念に立ち帰れば、
日本人はかっこよさを取り戻すのだと思う。
江戸時代の人たちが現代を観たらどうなるのだろう。
きっと野暮ったいと笑うのではないか。
考え方が野暮ったい
装いが野暮ったい
足しすぎてぶよぶよの飽和状態だ。
削ぎ落とすかっこよさ
引くことのかっこよさ
自分という存在が360°美しくいられるように
何を削ぐか
何を取り入れるか
衣食住も
佇まいも
立ち居振る舞いも
取り入れるべき芸術も
すべてにおいての足し引きを審美眼1つでやってのけたのが
かつての日本人だったのだ。
審美眼を取り戻そう
日本人の感性があれば舞舜舞舜生きるのが楽しいはずなのだから
あなたの人生は
日本人に立ち帰れば輝き出すのかもしれない
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#引き際のかっこよさ
#日本人の感性を取り戻そう
#あなたの審美眼1つで幸せになる
#日本人の御霊磨きまったなし
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