DearDAHLIA
何度も消して、また書いて、投げ出して、たまに思い出して二重線で消したくなるような人生でした。
もういいや。と、また頑張ってみよう。
死のうかな。と、人生って素晴らしい。
そんな極端な道の端と端を高速で反復横跳びするような忙しない日々でした。
甘い物よりお酒と煙草。炊きたてのご飯より冷凍うどんを選ぶような自分でした。
一時の我慢の先にある安定と達成感より、今の快楽と生きやすさを選んだ結果苦しくなって自分の首を絞めるような選択をしてきました。
自分で自分を愛しているようで一番自分をいじめているのはあたし自身でした。
まだ若くてどこへだって行けるはずなのに、なんだってこれから叶えられるはずなのに、もう一歩も前へ進めないくらい疲れ果てました。
膿が出るほど赤く爛れてボロボロの肌と、何をしてもイライラしてしまう心の余裕のなさと、いつもより少し中身の多い財布だけを持って、いま、辛うじて生きています。
可愛いとか愛されてるとか幸せだとか、そんなことを考える余裕もなくて、大好きな人すべてが憎たらしくなってしまって、自分自身にも興味がなくなってしまうほど、疲れました。
だからって死んだりしません。
きっとまた普通に働きます。
友達に八つ当たりもしません。
いつも通りの人生がまた始まります。
でも、今、辛いのです。
態度に不機嫌を乗せて友達に気を遣わせるなんて、一番したくない態度を取って、自分が嫌な人間であることを自覚して落ち込んでいます。
それでも明るく元気になんて振る舞えないほど余裕がなくて、可哀想な自分に浸れるほど甘い性格でもなくて、じゃあどうしたらいいかが分かるほど自分を大事にできていなかったから、何も分からないままご飯を食べて日がな一日ベッドと一体化しているのです。
夢物語みたいな妄想でなくて、このどうしようもない現実をどうにかしなくてはいけないのに、あたしはあたしの望みがわからないのです。
それでも人生は続いて、時は過ぎて、もうすぐであたしは22歳になります。
やっぱり17歳で死んでおくべきだったと何度も思いながら、15歳で死ななかった自分を抱きしめながら、21歳の今を振り回しながら、きっとこの先もどうにか生きていくのです。
ギリギリのところでどうにか生き延びれるような、それでもギリギリのところまでは何度も落ちていくような、そんな人生です。
落ちないように努力をするなんて頭のいいことは出来ないから、死にたいと思いながら死なないように努力しているのです。
恥と嘘と矛盾だらけのこの人生で自慢できることなんてたったのひとつもありません。
けれどそれは頑張ってこなかったということでは決してなくて、この世界に生まれ落ちたその日から始まった過酷な人生を死に向かわせないために足をこれでもかと踏ん張ってきました。
だからあたしの膝小僧は小僧どころか師匠くらい立派なのだと思うのです。
大人は、いや、人は誰もあたしの人生の責任を取ってはくれないし、手放しで愛したり救ってくれる人もいないことを幼き頃から痛いほどに知ってしまった可哀想なあたしは、自分で自分を抱きしめて光の粒をポロポロとこぼしながら、人とは違う頑張りを必死にしてきました。
愛されてなかったわけでも、孤独だったわけでもなくて、ただ、一番でないあたしが誰からも認められなかっただけなのです。
ニ番目の子供だったあたしはニ番目の女になって、まだ誰の一番でもないままで誰かのために走り回って疲れ果ててうずくまるのです。
認められたいんです。必要とされたいんです。それが叶わないから全てを投げ出して駄々をこねている子供なのです。
さあ、生きましょう。あたしのために。
可愛がりましょう。愛しましょう。
ただ自分を見つめてあげましょう。
かわいいあたしを笑顔にしましょう。
その方法はわからないけれど、喉の奥が締まって吐いたり泣いたりしないように、せめて柔らかいうどんのような優しさを持ちましょう。
這いつくばって生きて、咽び泣くように生きて、のたうち回って死ぬんでなくて、踊るように生きて、歌うように笑って、スキップしながら死んでいきましょう。
そのためにお金と心と時間を使いましょう。
あたしを愛さない男にニコニコ笑ってないで、鏡に向かって笑ってあげましょう。
これからはもう、死なないようにでなくて、生きたいように生きましょう。
これからのあたしの選んだ道が全て正解で、ダリアの咲き誇る美しい庭園のようなあたたかさと柔らかさに満ち満ちていますように。