心のヘドロ

私の心はヘドロのようにぐちゃぐちゃで濁っていて奥にある大切なものがなにも見えない。
そもそも大切なものが本当にあるのかすら分からない。

ただ、確かなことは私が今生きている、今まで少なからず何かを経験してきているということだ。

ただ息をして飯を食ってぐうすか寝ているだけではなかったはずだ。
それなりに修羅場をくぐり、何かを決断し、恋をして、失恋して、泣いて笑って怒って生きてきているはずだ。

それなのに。
今はただ仕事やお金のことばかり考えている。
逃げたい。
嫌なことから全て逃げてしまいたい。
そんなことばかり思ってしまう。

私がいなくても世界は廻るだろう。
当たり前だ。
私はどこかの国の王様でも権力者でも誰かのお母さんでもないのだから私がいないと生きていけない人はいないだろう。

けれど、私の存在意義はだれかに必要とされることではない。
私が私を必要とするかどうかだと思う。

私は自分が好きだ。
甘やかしすぎて主張の激しくなったお腹の脂肪達も、柴犬みたいだと笑われる眉毛も、細い目も、ぷくぷくの頬も荒れた手も全てがあってこその私で、それら全て含めて好きだ。可愛いと思える。
時々憎くて仕方なくなるけれど。

すぐに嫌なことから逃げてしまうのも、お人好しでおせっかいでおばさん臭いのも、片付けが出来ないのも朝が弱いのも、欠点ではあるけれどそれが私だ。
今までの私の積み重ねだ。
自分が選択してきた道の結果だ。

だから私は自分を愛す。
やむを得ず選択してきた、他人に選ばされた道ではない。
その時自分がしたかった事をしてきたからこその今で、自分が望んだ未来だ。
理想とは違うけれどこれはこれで幸せだ。

金はないしろくに仕事もない。
守るべきものも責任もない。
ただ、生きているだけ。

自分を責めることもある。
病んで消えてしまいたくもなる。
けれど消えないし死なない。
明日も私は生きる。
私が私を必要とする限り。

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