今までは幕見席をちょろちょろしていただけだったが、今回はしっかり仕事を休んで昼の部を3階B席(4,000円)にて観劇。前回までの反省を活かし、オペラグラスを持参/音声ガイドをレンタル/筋書(歌舞伎パンフ)まで購入して、個人的には格段の進化をもって臨む(もっと早くやっておけば良かった)。
しかし、まさかのまさか。当日に娘が発熱。妻が夕方から仕事だったため、無念の途中帰宅となってしまったのだが、とりあえず観たもの・学んだものの記録は残しておきたい。
團菊祭とは?
ちなみに、現在の市川團十郎は13代目(西麻布で暴れたかつての海老蔵)。尾上菊五郎は7代目で妻は富司純子、長女は寺島しのぶ、長男は5代目尾上菊之助。※ちなみに来月は、寺島しのぶが出演する「おちょこの傘もつメリー・ポピンズ」を観に行く。
(追記)2025年5月、5代目菊之助は、8代目菊五郎を襲名するとのこと。
二つ目の演目である「毛抜」は四世市川左團次の一年祭追善狂言。四世の子息である市川男女蔵(おめぞう)が主役の粂寺弾正を演じ、父を偲ぶ。
一、鴛鴦襖恋睦(おしのふすまこいのむつごと)
ということで、團十郎家とは縁の深い演目で、舞踊的要素の強い作品。
前半の「相撲」パートでは相撲の故事来歴が歌われ(インドでは〜、中国では〜)、相撲の起源である垂仁天皇の御前で行われた大和国の當麻蹶速(たいまのけはや)と野見宿禰(のみのすくね)との勝負の様子が語られる。
後半では、河津と股野のその後の話を直接的に描くのではなく、雌鴛鴦の精霊が、股野に殺された雄鴛鴦を思って嘆き、雄鴛鴦が河津の姿を借りて現れて雌と共に股野と一戦交える超展開に。
決着が付かない展開は歌舞伎にはよくあるそうですが、着物を羽に見立てた所作の美しさ、それを際立たせる衣装の美しさが目を引く演目でした。
昼食
1つめの演目が終わったところで25分ほどの休憩が挟まるため、ここで昼食。友人に「一度は食べてみるべき」と薦められ、吉兆 歌舞伎店にて昼食を取る(なんて贅沢な日)。
自分は少食だが、量も絶妙にちょうどいい按配。こういった見た目の料理は苦手だったはずなのだが、自分も齢を取ってこの域に達したかと思うと感慨深い(ただ単純に吉兆が美味しい)。
二、歌舞伎十八番の内 毛抜(けぬき)
明治期に活躍した「劇聖」である九世の功績を顕賞する團菊祭において七世の話まで出てきて、歌舞伎の歴史の厚みにクラクラ。四世左團次の追善興行のため、二世左團次が復活上演させた「毛抜」を、四世の子息が演じるという趣向となっている。
粂寺弾正が豪快且つ色気・茶目っ気・男色の気さえある面白いキャラクターで、当世風に解釈するならば、冴羽獠と名探偵コナンを組み合わせたようなイメージ。「髪の毛が逆立つ姫の奇病」が磁石の働きによるものだと見抜き、槍で天井を一突き、すると忍びの者が落ちてくるというそんなまさか!の展開に微笑みが止まらない。
三、極付幡随長兵衛(きわめつきばんずいちょうべえ)
とあるように、冒頭は江戸時代に人気を博した金平浄瑠璃を素材とした「公平法問爭(きんぴらほうもんあらそい)」が劇中劇の形で取り入れられ、その劇の最中に客席の酔っ払いが花道に乱入。舞台番(舞台の下手に座って場内整理にあたった者。明治中期まで存続)が事態の収束をはかって、会場にお詫び及び劇の進行を告げると、2024年現在の歌舞伎座がまるで当時の「村山座」になったかのよう。続く狼藉者が花道に侵入すると、今度は客席から長兵衛=團十郎が登場して場を収め、劇場は主役の登場に歓声が上がった。
二幕目は、長兵衛が水野の罠と知りながら子分や家族の反対を押し切って、水野邸へ向かうことを決心。自分はここまでだったが、三幕目は友人によると「風呂場で立ち廻って死にました」とのことだった。
完全なる私見で、お叱りを受けること承知で申し上げるが、現在の團十郎は悪くはないものの、歌舞伎をやっている感じがあって、役が乗り移っている感じはなかった印象。三幕目を見ていたらその印象は変わっていたのだろうか。あるいは、まだ現在の團十郎は襲名から2年。齢を重ねるにつれ、円熟味を増していくのだろうか。
今回、行って感じたのは自分のような知りたい・学びたいステージにいる観客には音声ガイドはマスト。特にこの昼の部最後の演目で役立った。
※しかも、事前の予習コンテンツまでサイトで公開されている!
二幕目でも長兵衛は「堅気な商売ではない」と語っているが、具体的には参勤交代時の人材派遣サービスのような稼業をしているようだ。各藩邸は普段は暇で、人手は不要だが、参勤交代ともなると地方から一行が大勢上京する。となると、人手が急に必要となるわけで、人材の調達が求められる。参勤交代の情報をキャッチし、あちらの人材をこちらへ、こちらの人材をあちらへと差配することで、市中に失業者が出ないように調整をする仕事というのがあったらしい。そうした人材派遣サービスを仕切る親玉が、子分を想い、メンツを大事にする日本の俠客の元祖というのだから、隔世の感があるではないか。