個人的には今年No.1の大傑作。鈴木さんだったり、野田秀樹だったり、岡田利規だったり素晴らしい演劇はアーカイブ含めたくさん観てきた1年だったが、面白いものは本当に世の中たくさんあるんだな、と驚いた。
気持ちとしては1.5時間くらいの気持ちで作っているという話だが、冗談抜き本当にあっという間の5時間。2020年の公演が中止になっての今回ということで、ここにかける意気込みもひとしおだったろう。
木ノ下氏が初演以来幻となっている場面まで復活させるのは伊達や酔狂ではない。かつてギリシアの悲劇詩人たちが世を憂いて偉大な戯曲を残したように、河竹黙阿弥もまた時代の混沌を本に写し込み、さらにそれをその幕末〜明治にも通じるこの現代に蘇らせるその意味をしかと受け取った…気が勝手にしている。だからこそのあっという間。忘れぬ内にこの感動・その感触をメモしておきたい。
時代背景
まず、黙阿弥が『三人吉三』を書き、上演したのはどんな時代だったか。
大老の暗殺、疫病・天変地異。政治に目を向けても安政にはほど遠い….となれば、今の時代そのままではないか。
不条理と因果
上記の『三人吉三廓初買』研究によると、社会的混乱の中において民衆は権力の動向に厳しい批判の目を向けており、為政者階級である武士に対する侮蔑意識・不服従精神が育ち、博徒連中などのアウトロー(悪者)に親近感を抱くようになることで、それが歌舞伎における白浪物の誕生につながるとある。※「地面師」のスマッシュヒットはその現れ…?
従来の『三人吉三』の部分的な上演では、その白浪物の側面が強く押し出され演出がなされてきたのではないか。
しかし、黙阿弥が描いたものとは本当は何だったのか?より正確にいえば、黙阿弥が描いたものを木ノ下氏は何と考え、今回の上演に至ったのか?
因果応報と聞くと、「よい行いをすれば幸せが訪れるし、悪い行いをすれば災いが降り掛かる」というような自己責任論にも聞こえてしまうが、黙阿弥が考えていたのはきっとそういうことではないだろう。
自然災害に自らも被災し、疫病・飢饉で人は周囲でわんさか死んでいる。もはや不条理としか言いようがない悲劇を目撃しながら、それをどう考えたら良いのか?を黙阿弥は考えていたはず。今となってはどうしようもできない過去の因果があった、とりあえずそう考えるにしても、その悲劇や因果に対して人はどのように向き合うべきか、それをこそ書いたのだと。
〈三〉の物語
〈二〉では善悪がはっきりしてしまうため、『三人吉三』ではジャンケンのような〈三〉すくみの構図で、人の善意がどうしようもない破滅・終局呼び寄せてしまう様子を見せていく。省略されていた〈廓チーム〉の話が復活されたことで、その構図がはっきりと見えてくる。
〈生と死〉の物語
加えて、〈廓チーム〉の話が復活することで、『三人吉三』が〈生と死〉の物語としての本来の姿を取り戻していた。
このラストシーンの演出は本当に見事としか言いようがない。悲劇の中では血の繋がりを超越して、生きている人間が手と手を取り合うしかない。悲劇を超え、生きている人間が未来に行ける者をただ連れて行く。どうしようもない運命の中で、人間の抗う姿が見事に表現されていた。
舞台設定
今回の公演の関連プログラムとして配信されたレクチャー企画、歌舞伎ひらき街めぐり~木ノ下裕一の古典で読み解く江戸⇄東京講座 第一回「両国と『三人吉三』~魂をしずめる場所~」についても触れておきたい。
『三人吉三廓初買』の物語の発端となり、最も有名な場面とも言える「大川端庚申塚の場」(同じ名前の3人の盗賊が出会い、義兄弟になるまでの一場面を描く)。この大川端とは今の両国橋近くの川岸のことらしいのだが、このレクチャーではこの両国がどういう土地であるかを解説している。
さらっとまとめると…..江戸ができてから50年ほど経ち、明暦の大火という大災害があり、この両国では人が多く亡くなった。その焼死者10万8千人を幕命(当時の将軍は徳川家綱)によって葬った万人塚が始まりとなって回向院が建立、その社寺や仏像の建立・修理などのために金品の寄付を募ることを目的に相撲(勧進相撲)が興り(四股は地霊の鎮魂)、死者鎮魂のために花火大会(後の隅田川花火大会)が始まったということで、この両国の地は災害の記憶と追悼・鎮魂の象徴の地であるということだ。
つまり、黙阿弥は『三人吉三廓初買』の舞台に両国を設定することで、江戸初期からの200年を接続しようとした。そして、さらにそこから160年以上を経て、今回の上演がなされたということになる。
口語と文語が相混ぜとなり、衣装や音楽、役柄の性別もいわゆる"時代劇"のそれではないのも、何としてでもこの、河竹黙阿弥が残した災害の記憶と追悼・鎮魂の物語を、現代に何としても蘇らせんとするその気迫・気概の賜物だろう。
今回、河竹黙阿弥という「当今のシェイクスピヤ」(©坪内逍遥)の偉大さを痛切に感じると同時に、監修・補綴を務めた木ノ下裕一氏の異彩に唸った。
もっと早く観ておけば良かった、他の作品も観てみたい、今はただそう思うばかりで、ますます仕事なんてしてる場合ではない、と困った事態である。