SCOT 『シラノ・ド・ベルジュラック』
今年のSCOT サマー・シーズン2024で一番楽しみにしている作品。
ヤフオクで偶然に見かけて衝動買いしたDVDに収録されていたので、事前にこちらを鑑賞(本当に買っておいて良かった)。DVD収録は2003年@静岡芸術劇場での上演。初演は1999年なので、再演時の映像だろうか。
戯曲は手元になく、図書館やどこにも見つからなかったためSCOTに相談した所、送料込み振込にて郵送してくださった。ありがたいことだ。
加えて、光文社が2008年に出した翻訳でロスタンの原作戯曲も通読。個人的な準備は整った…と思ったが、SCOTは翻訳に岩波の定番訳を採用しているようだ(そりゃそうか)。
「シラノ・ド・ベルジュラック」とは
こちらは2007年ブロードウェイでの上演時の「シラノ」だが、まあトレイラーを観ても分かる通り、変な話である。
学者で詩人で軍人で、おまけに天下無双の剣客だが美男とは言いかねる大鼻がコンプレックスのシラノ。アホで弱いがとにかくイケメン・クリスチャン。知性を愛する賢いはずの面食い美女・ロクサーヌの三角関係。
17世紀フランスに実在した剣豪作家、シラノ・ド・ベルジュラックを主人公にしたロスタンによるこの戯曲は、シラノ没後242年の1897年に初演。ポルト・サン=マルタン座(Théâtre de la Porte Saint-Martin)の12月28日の初日から500日間パリ中を興奮させたといわれ、以降今日に至るまで、フランスばかりでなく世界各国で繰り返し上演されている。(wikiより要約)
日本でも、幕末から明治へ移る日本を舞台に翻案した『白野弁十郎』が新国劇の沢田正二郎によって初演(1926年)され、大成功。その後、沢田の弟子だった島田正吾の一人芝居へと引き継がれ、島田の死後は、弟子の緒形拳(新国劇出身)がこの作品を上演したという。
余談だが、ポリスのロクサーヌは、
ということで、話の内容には関係ないようだ。
鈴木忠志版「シラノ・ド・ベルジュラック」
2010年@新国立劇場での上演映像を発見したので置いておく。余談だが、プログラムを見ると、「東京ノート」とかもこの時はやっていたようで、タイムスリップしたい気分になる。
こんな前衛芸術になってしまって「シラノ・ド・ベルジュラック」は本当に「シラノ・ド・ベルジュラック」なのか?と心配したが、たしかに原作戯曲で読んだ通りの話になっていて、しかも戯曲に流れる感情はむしろ読んだときよりもクリアに掴めてしまうのだから不思議。というか、鈴木先生さすがとしか言いようがない。
DVD収録の2003年上演では、ロクサーヌをロシア人女優が演じている。ロシア語と日本語で会話が続けられるため、それがイケメン好きな女性と話はしているものの話が通じていない、恋愛の対象としては見られていないので自分に秘かな想いがあるなんてことは露にも思われず検討の俎上に上がることは万に一つもない、絶対にない。という絶望的な状況につながっていて、うわ!この感じ知ってる!と自分には刺さって仕方がなかったのだが、そのロクサーヌは喬三自身の内なる声でもある。
さらに、今回の2024年上演となる国際版では、クリスチャンを中国人俳優が演じるということで、イケメンすらも抽象概念として内面化しやすくなるだろう。
シラノ・ド・ベルジュラック自身が男色だったということまでは考慮しないにしても、自分が持ちえなかった美貌との融合願望がまずここにある。加えて、その美貌との融合によって、初めて自身の才気の真価が見えるというのも狙いだ。さらには、内なる知の迸りが外見をすら凌駕するということ、それこそがこの物語を書いたロスタンの心の深奥にあるはずで、それが「シラノ・ド・ベルジュラック」を愛してきた人々の希求でもあり、その純化が舞台では行われる。
ちなみに、2006年?@万里の長城での再演時はロシア人・中国人・日本人で演じていたようだ。この席危ないとか細かい所まで鈴木さんがチェックされている様子が拝めます。
追記) SCOT SUMMERシーズン2024にて
ということで、利賀にて観劇。
喬三を竹森さん、クリスチャンをテン・チョン氏。テン・チョンは中国の国立の劇団(中国国家話劇院?)に所属されている…というようなお話を鈴木先生がされていたように思うが、いつ観ても良い役者。背も高く声も通ってハンサムでクリスチャンにぴったりだ。ロクサアヌを演じるのはロシアのナナ・タチシビリ氏。この方は、オレグ・タバコフ氏が芸術監督を務めていたモスクワ芸術座に所属?(これも聞き逃した…)。
実際に見て気付いた/考えさせられたのはまず、鈴木先生がblogにも書かれていた文字言語と音声言語についてである。
文字言語は強力な嘘の装置である。シラノはそれを駆使してロクサアヌを半ば偽るのだが、鈴木先生がトークで仰っていたように、「嘘をつかないと本当のことが伝わらない(by 大江健三郎)」こともシラノにとっては真実なのだ。
クライマックスでは手紙が発話されることを通じて、気持ちが音で分かってしまう、音を聞いたらそれはクリスチャンの気持ちではないことが分かってしまう、という事態となる。ここも正に鈴木先生が仰っている「戯曲は声に出して読みなさい」ということともつながってくる部分で、この演目が実に演劇的であるということがよく分かった。
また、「椿姫」に使われる「La Traviata」はヴェルディによるイタリアの流行歌だが、高級娼婦マルグリットとの叶わなかった「真実の愛」のイメージが重ねられているということを考えながら眺めると、ロクサアヌに奥行きというのか、多重性が加わって見られたようにも思う。
とにかく素晴らしい演目だった。目撃できてただ幸せの一言。演劇は劇場で観なければならない、ということは分かりつつも、世界の文化遺産として再度、高画質映像によるアーカイブ化が望まれる。
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