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チェルフィッチュ x 藤倉大 with アンサンブル・ノマド 『リビングルームのメタモルフォーセス』

東京芸術祭2024にて上演された作品。キノカブだけでなく、こちらも観ていたのだった。もう1ヶ月以上も前のことではあるが、感想を残しておこう。


創作経緯

舞台パンフによると、本作は欧州有数の国際芸術祭であるウィーン芸術週間のインテンダント(劇場やオペラハウスの運営を監督する総裁)であるクリストフ・スラフマイルダー氏から岡田利規氏に対して、作曲家・藤倉大氏とのコラボレーションによる新作音楽劇をつくってみないかとの提案があって動き出した作品とのこと。

2021年11月には創作のプロセスを公開するWIP公演(@タワーホール船堀)が実施され、その際の様子はYoutubeに動画も上がっている。

そしてそこから2年の歳月を経て、2023年5月のウィーン芸術週間にて初演。その後、ハノーファー、アムステルダムでの公演を経て、ついに日本凱旋・初演となったのがこの東京芸術祭2024におけるチェルフィッチュ x 藤倉大 with アンサンブル・ノマド 『リビングルームのメタモルフォーセス』である。東京公演にあたって演奏がクラングフォルム・ウィーンからアンサンブル・ノマドに変更となっている。

"根本的に新しいありようの音楽劇"

岡田利規は今回の新作音楽劇の狙いを以下のように説明している。

今回、ウィーン芸術週間(というフェスティバル)のインテンダントであるクリストフ・スラフマイルダーさんから、作曲家・倉大さんとのコラボーションによる新作音楽劇をつくってみないかと提案をもらいました。願ってもないチャンスに、根本的に新しいありようの音楽劇をつくろう、という大それた野心を持って取り組みました。 根本的に新しいありようの音楽劇、とは?わたしは構想の最初の段階から、抽象的でしたが、戦略は一応持ってました。 音楽と演劇の関係のありようを新しくすること。音楽と演劇の一方が、もう一方の従属物では決してないようなものをつくること。 大さんとであればそのようなものをつくれるだろうということは初めから確信していました。

舞台パンフより

舞台の前面にはアンサンブル・ノマドが座り、演者たちの基本ポジションは舞台奥。事前にこの舞台を観ていた同僚から「席は中央から後方に座れ」と指示があったのはそういうことだったか、と現場で気付いた。

https://www.instagram.com/p/DBirJTetbmU/

ストーリー

さらに、岡田氏は劇のストーリーについて以下のように話している。

この作品のストーリーはいたってシンプルです。登場人物たちのごくありふれた、人間的な(人間中心的な、と言ってもよいでしょう) インタレストが容赦なく無化される、というものです。 わたしがそのような物語の内容を持つ<新しいありよう>の音楽劇をつくろうとしたのは、なにより、わたし自身のためです。 わたしの世界の出来事・宇宙の事象をとらえる際の人間的/人間中心的な態度に変容を施したい。そのための経験を、日常的にこつこつ重ねていきたい。毎朝ひとくちふたくちのヨーグルトを食べる、というような具合にこつこつと。 この作品が、そのような小さな経験となりうるものの一つになったら、というこれもまた大それた野心!を持ってテキストを書きました。

劇場パンフ

登場人物たちのありふれたインタレストが容赦なく無化される、とはどういうことだろうか?それは言い換えるなら、外部要因によって日常生活を送ることが困難になる、と考えられるのではないか。

舞台の上の男女はどうやら共同生活を営んでいるようだ。大家が自分たちを追い出そうとしていると聞き、酷く動揺するところから舞台は始まる。居住者にも権利があるから大家であれそんな勝手なことはできない、だから安心しようと話すものの、どこか安心ができない。自分たちを追い出そうとしている誰かがいる、そのことが安心を根底から壊してしまった気もしてくる。急に雨が降って布団がずぶ濡れとなり、今夜どうやって寝るかが問題にもなる。玄関の門を開け、不審者まで侵入してくる。家の中だって決して平和ではない。面倒で厄介な人間も同居しているのだ。

侵入者 https://www.instagram.com/p/DBirJTetbmU/

生活空間が"何か"に侵食される恐怖

昨日まで当たり前と思っていた日常が、突如壊れていく。戦争や自然災害などはその顕著な例と言えるだろう。自分たちの生活空間が"何か"に侵食される恐怖、あるいはその感覚は、近年特に強まっているのではないか。

藤倉大の音楽、アンサンブル・ノマドが奏でるのは舞台上のBGMではない。むしろコントロールできない力として、役者たちに襲いかかるかのようだった。

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