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SCOT 『イワーノフ』
“世界の鈴木忠志”率いる劇団SCOT 4年ぶりとなる待望の新作「世界の果てからこんにちはⅢ」の宣伝ポスターを見て、あることに気づいた。こ….これは….イワーノフではないか!!
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https://www.scot-suzukicompany.com/kichijoji/
DVD「鈴木忠志の世界」のdisc3に「イワーノフ」が収録されていたため、公演前に慌てて鑑賞。調べたこと・感じたことをここにまとめておこう。
イワーノフ(原作)
初演は1887年、チェーホフ27歳の時。英語版wikiによれば、10日で4幕構成の戯曲を書き上げたそうだ(チェーホフにとって初となる長編戯曲)。
新しい社会建設のために理想と奉仕に燃えるロシア中産階級の知識人イワーノフは、ユダヤ人のアンナと結婚する。そして5年の歳月が経った今イワーノフは仕事や結婚への理想が破れ、自分の人生が失敗であったと感じている。妻は生活に疲れて胸を病み、借金を抱え、彼自身も健康を保つことができず、倦怠と憂鬱に襲われる日々を送っている。さらに若い恋人サーシャとの浮気がイワーノフの罪悪感に拍車をかける…。
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原作が書かれた"帝政末期"
戯曲を理解するには、その当時の時代背景を知るのが近道だ。
18世紀初めから1917年のロシア革命までのロシアは「帝政ロシア」と言われ、この戯曲が書かれた1887年は"帝政末期"ということになる。では、帝政ロシア期とはいかなる時代であったか。
18世紀のロシアは軍事技術から思想,風俗までヨーロッパの文物・制度を貪俗に吸収し,啓蒙専制君主エカチェリナ2世の時代にある意味で模範的な絶対主義国になり,ヨーロッパの一大強国に発展した。しかし女帝の晩年にはフランス革命がおこり,イギリスの産業革命も始まっており,19世紀初めにはナポレオンのモスクワ遠征があった。産業革命と市民革命の時代を迎えて,19世紀にロシアの後進性はかえって明らかになり,世紀前半アレクサンドル1世とニコライ1世が絶対主義体制を保持しながら新しい国際環境のなかで大国ロシアの地位を守ろうとしたが,クリミア戦争に敗れ,この敗戦の衝撃からアレクサンドル2世の時代に〈大改革〉が行われた。
18世紀には豊かだった国が、19世紀中頃に戦争に負け、周囲の環境変化(産業革命&市民革命)の中で後進性が露わとなり、強国から没落していく。さらに…
クリミア戦争の敗北後、ロシア皇帝アレクサンドル2世は、1861年の農奴解放令をはじめとする体制改革に着手した。地方行政改革、司法改革、軍制改革、教育改革など多方面におよぶ改革は、「大改革」と称された。これらの諸改革は、西ヨーロッパの諸制度を取り入れて帝国の国力強化を目指した「上からの」近代化政策であった。専制君主制の枠組みを維持しながら西欧的近代化を進めようとする政策は、伝統的なロシア社会に混乱を招くことになり、「大改革」は不徹底なものにおわった。改革の停滞に不満を抱く知識人の一部は急進化し、その中からテロリズムで体制を転覆しようとするグループも現れた。19世紀末にはロシアにおいても本格的な工業化が進んだが、貴族・資本家層と工場労働者・農民とのあいだの格差は大きく、反体制的な知識人は社会変革を求める動きを次第に活発化していった。
改革を進めるも上からの改革は失敗に終わり、格差が広がって、結局はロシア帝国崩壊。ちなみに、改革の主導者アレクサンドル2世は爆弾テロによって暗殺される。
豊かな国がだんだんと貧しくなり、打つ手はことごとく失敗、格差が広がって、国家元首まで暗殺される…と聞くと、どこぞの国と似た状況ではないか。(というまさにこの点に果てこん3の起点があるのかもしれないが)
演出ノート
「イワーノフ」は、社会改革に燃えた政府の若き役人が生活の中で次第に情熱を失いやがてメランコリーに陥って破滅していく物語だが、こうした"国の失敗"を映し出していると考えられる。
そのあたり鈴木先生の演出ノートでも触れられていて、自分なりに超訳すると、チェーホフは多くの人々によって共有される物語が存在しえない時代において共有の物語を創ろうとしている、それは国を憂えるからであり、だからこそ共有すべき物語は悲劇なのである、という本来的な演劇の機能にも立脚していてリスペクト対象(=自分もそれが目標)…..ということになる。
その上で、先生は「イワーノフ」を以下のように解説する。
この舞台は、イワーノフが自己正当化という物語を創る試みに失敗し、自分を取り囲むすべてのものに違和感を持ち、妄想にとりつかれて自殺するまでを扱っている。
(中略)
イワーノフは封建的な社会を変革する運動に参加すると同時に、反ユダヤという人種差別への抗議の実践としてユダヤ人の女性とも結婚した。しかし運動はただの金銭の浪費に終わり、結婚は逆にイワーノフ自身に根深い差別意識があることを証明してしまう。若い娘への恋心を妻に非難されて発する「黙れユダヤ人」という言葉は、彼が美談として創ろうとした物語の終極の失敗の姿である。
そして、
この舞台を創りながら、はたしてわれわれ日本人は日本人としての共有の物語を創ることは可能か、言い換えれば、共有しうる精神上の価値の目標を設定することは可能かなどと考えたりもした。
とも考えてらっしゃったようだ。SCOTによる「イワーノフ」初演は1992年だから、その頃の日本を振り返るのならば、高度経済成長を経てバブルが崩壊、まさに没落の序章がはじまった段階にもあるわけだ。その後の展開を思えば、改めて先生の慧眼に恐れ入るしかない。
2006年・新国立劇場
DVDに収録されていたのは2006年の公演のもの。恐らくこれかと思うのだが…..現場に行けていた人が羨ましすぎる。
その鈴木氏が実に16年ぶりとなる東京公演として、新国立劇場に初登場。11月2日より、「劇的な情念をめぐって」と題し、『シラノ・ド・ベルジュラック』(原作:エドモン・ロスタン)『イワーノフ』(原作:アントン・チェーホフ)『オイディプス王』(原作:ソフォクレス)の3作品を、中劇場・小劇場で交互上演します。
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知識人・イワーノフとその妻アンナの前に現れる“籠の男”や“籠の女”。それらは全て、イワーノフの幻想だった。他人との意思の疎通が出来ない主人公イワーノフの絶望感を“籠”として現出させた演出は、モスクワでも「全てを一掃する解釈革新の嵐が、陽気で容赦ないこれほどの力を持ってチェーホフに吹き荒れたことは絶えてなかった」と大きな賞賛を浴びました。人種差別問題を現代的に問い直した本作は必見です。
DVDが絶版&中古市場もかなりプレっており、今は観る機会がほとんどないのではないかと思われる「イワーノフ」。Youtubeに公開されている「創造の軌跡」に一部パートが収録されていることに気付いたのでここに載せておこう。
アンナの想い
この「イワーノフ」は音楽・音響効果が凄まじい。SCOTは音楽が本当に前衛的・現代的で以前から誰の仕業によるものか気にはなっていたのだが、ロジャー・レイノルズなる御仁が手掛けていると今回初めて知った。謎がひとつ解けた気がする。
ロジャーについてはまた別の機会に掘るとして、ここで触れたいのは都はるみ「浮草ぐらし」である。
男を一途に愛する女性の恋心に容赦なくディストーションが加えられ、サウンドは悪夢的なものとなる。恋心が裏切られ無惨にも踏みにじられ、世界が反転して落下する。「全てを一掃する解釈革新の嵐が、陽気で容赦ないこれほどの力を持ってチェーホフに吹き荒れたことは絶えてなかった」と激賞されたのもこういう点にあるのだろう。
こうした個人の悲劇が、国家の失敗の上に積み重ねられ、悲劇はより大きく具体的に、取り返しがつかない深刻さを突きつける。しかし、往時の昭和の企業人たち、あるいは60年代の革命の季節を思えば、こうした終極の失敗の姿にはシンパシーがありえたのではないか。そしてそうした敗北の感覚にこそ、時代の感覚として共有されうる物語が宿るのではないか….と思ったりもするのである。
ということで、とにかく暗い「イワーノフ」。かなり食らってしまったわけだが、「世界の果てからこんにちはⅢ」のポスターには「世界を憂い 日本を憂う 娯楽篇」と書いてある。さてさてどうなることか…..。(続く)