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た組 『ドードーが落下する』

KAATにて観劇。見逃さなくて本当に良かった。巨大な才能に触れた感覚。どうしたらこんなテキストが書けるのか、一度完成したものを再構成できるのか。とりあえず、これからはこの劇団も追いかけねば….という強い使命感が新たに生まれた2025新春である。

久々のKAAT

『ドードーが落下する』(2022)

『ドードーが落下する』は2022年に初演され、第67回岸田國士戯曲賞を受賞した劇団の代表作。しかし、それが今回は大幅に改訂されているとのことで、見てない自分は「困ったなあ…」と頭を悩ましていたのだが、昨年末にJapan Foundation国際交流基金のYTチャネルにてなんと配信がスタート!

このタイミングの公開はやはり、"誰かの粋な計らい"と捉えるべきだろう。誰か知らないけれどありがとう。そう感謝しながら、まずは2022年の初演版を事前に鑑賞した。

「見えなかったら大丈夫と思ってたのに。実は価値が無いものは見えない方が世間はすごく良くなるんですよ。だから僕をそうしてもらったんですね、こいつに 」

イベント制作会社に勤める信也(藤原季節)と芸人の庄田(秋元龍太朗)は芸人仲間である夏目(平原テツ)からの電話に胸騒ぎを覚える。三年前、夏目は信也や友人達に飛び降りると電話をかけ、その後に失踪していた。しかしその二年後、再び信也に夏目から連絡がある。夏目は「とある事情」が原因で警察病院に入院していたそうで、その「とある事情」を説明する。それから信也達と夏目は再び集まるようになったものの、その「とある事情」は夏目と友人達の関係を変えてしまっていた。信也達と夏目との三年間を巡る青春失踪劇。

https://takumitheater.jp/news/id_419/
2年前も同じスタジオで上演されていたことを知る
https://takumitheater.jp/news/id_419/

いつ公開停止になるかは分からないので、観られる内に観ておいて!と会う人には声をかけるようにしている(そんなに話す人はいないが…)。というのも、今回の改訂版は、初演版と一対であると思われるためだ。

ここで、今回の公演で配られた加藤氏の「ご挨拶」を引いておこう。

『ドードーが落下する』はひとりのお笑い芸人とその友人達の話ですが、お笑い芸人といってもお笑いのことはあまり出てきません。お笑いの物語ではないからです。

この作品は 2022年に初演を迎え、約2年と少しが経って再び上演されることになりました。厳密には再演と呼べないと思うほどに書き直しをしていて、場所によっては改訂版と呼んだり、リクリエーションと呼んだりしています。 正直なところ、ほとんどゼロから立ち上げ直したのでなんと呼べばいいのか自分でも決めかねています。

加藤氏のこの逡巡を汲み取りたい。続編とも言えそうだし、並行宇宙を描いているとも言えそうだが、たしかにどうもしっくりこない。

例えは古いが、自分的に座りが良いのは「ときめきメモリアル Girl's Side」の如く、『ドードーが落下する - 夏目's Side - 』。台本の言葉を借りるなら、初演は"そっち側"、再演版は"こっち側"にカメラが置かれる。つまり、2つを重ね合わせることで、舞台に流れる感情を複眼的/立体的に味わうことができるというもので、いやはや、この演出が凄まじい(後述)。

『ドードーが落下する』(2024)

「ご挨拶」の続きも見ておこう。

22年の段階では再演するつもりはまったくありませんでした。この作品の一部分、『死ぬと伝えてくる友人を死なないように見張り続けなければいけない強迫観念』という自身の一部分と、上演を通じて心の距離を取ることができたからです。同時に、主軸に置いていたテーマとはまた別のテーマ、職業によって透明化されることの方が、濃く反映されることにも気が付きました。勿論それはどの作品でも起こりうることであり、これまでも起きてきたことなのですが、この作品においては先にあげたテーマ以外にも補強された視点の多さに、またはその余白に別の語り口として、もう一度作られる可能性を感じたのです。改めて補強された視点を持ち込むのであれば、語り口を変えて、でも大きな骨格は同じで、再び上演することは面白くなるのではないかと思い、書き直すことを決めました。だから感覚としては、大きく変更したことと大きく変わっていないが共存しているというのが正しい感覚で、まだなんと呼べばよいのか決めかねているのです。

この部分はSPICEの取材でより詳細に話しており、そちらの方が意図を汲み取りやすいかもしれない。

――キャラクターにはモデルがいらっしゃるのですか?

友人がモデルになっています。コロナ禍で彼と久しぶりに会った時に、何が楽しくて一緒にいたのか、どういう距離感で接していたのかわからなくなったことがキッカケで、その友人との昔話、死ぬと電話をかけてきたその人を監視しなければいけない強迫観念に駆られた自分を思い出して書いたのが初演です。だから、夏目と周囲のコミュニケーションの部分にフォーカスが当たっていました。

――初演は、最後まで夏目に寄り添おうとした信也と夏目の、2人の視点で描かれていましたが、再演は夏目の内面や状況により集中した内容に、大幅に改訂されています。

実際に上演してみると、社会的な肩書が、個人的な悩みを透明にしてしまうという部分が思ったより際立っていました。この話で言うと「お笑い芸人」という肩書が、彼の持つ悩みを消してしまっていた。彼がおかしな行動をしても、それが実はケアを必要としているものではなく、お笑い芸人というレールの上で面白くしようとしてくれているんじゃないかと、周りには思われています。初演の時に一番に意識していたことではなかったんですが、上演したことで、初期衝動と距離ができたのではないかと思います。なので再演が決まった時点で視点をずらして書き直しました。​

https://spice.eplus.jp/articles/334588

ということで、初演版は、『死ぬと伝えてくる友人を死なないように見張り続けなければいけない強迫観念』を描くために、信也たち"そっち側"の人たちに視点は置かれ、"そっち側"の人たちが動く世界として舞台は広く使われた。

『ドードーが落下する』(2022)
https://twitter.com/stage_natalie/status/1572550997809172480/photo/4

しかし、今回の改訂版は、夏目が認識する世界にカメラが置かれる。自分がステージを見て最初に驚いたのは正にこの点。狭い!

椅子が左右に動き、照明が上下する。その動きだけで空間がリビングになったり、隔離病棟になったりする。この2年間で、演出も冴えまくったのではないか。
劇場の扉外には舞台美術の模型も展示されていた。

KAATの公演情報を読みなおすと、正にこの通りのことが書いてあった。

芸人として活動する夏目は妻の家族からは相手にされていないが、相方の賢や友人達からは面白いと評価されている。ある日、夏目は自分だけに聞こえる声に気が付く。しばらくの間、声に従った夏目は病院で一人になってしまう。

https://www.kaat.jp/d/dodosfreefall25

主演の平原テツ氏も取材に対してこう答えている。

今回再演だと聞いて、そんなにセリフを覚えなくても大丈夫かなと思っていたら、内容は一緒でも書いてあることが全然違うんです。初演では周りの人物が夏目の状態を説明することで物語が進んでいたのが、今回は夏目を中心に話が動いていくんです。前回は、会話の中に出てくるだけだった相方の賢が出てきたりするから、そこの関係性を新たに考えていかなくちゃいけなかったり。プレッシャーはあるけど楽しいです

平原テツ「内容は一緒でも書いてあることが全然違う」 舞台『ドードーが落下する』が待望の再演
https://ananweb.jp/categories/entertainment/42667

2022年版は「青春群像劇」と呼ぶに相応しいものだった。20代〜30代の若者の言葉がリアルに写し取られ、定型化した表現がはらむ暴力性、あるいは青春というものの残酷さ、不器用な優しさが静かな感動につながっていた。

2024年版は、その「青春群像劇」が夏目の内面世界にて展開する。だからこそ、夏目の周囲の人間は壁を乗り越えてやってくる。

https://x.com/katoh_takuya/status/1880942398571966786

また、2022年版では描かれなかった電話の向こう側にカメラが置かれたり、エピソードとして話された場面が演じられたりと、"こっち側"と"そっち側"が相互に補完されることで、全体の骨格はより強固なものに。

2022年版でやや演出的にクドかった部分も、この視点のズラしによって表現が圧倒的に洗練された。例えば、HOT LIMITやSEXの神様、タランティーノだけが分かるネタの場面等に自分はそれを感じたが、もしかしたら、余計な部分を省き/磨き過ぎてしまって、2022年版を観ていなければ"こっち側"からは見えなかった像もあったのではないか。

※そして、それははっきりと見えなくて良いように思う。夏目の妻が元々はファンだったといった話も2024年版ではカットされているが、もはやそれが夏目には"見えていない/聞こえない"ということが、彼にとってのリアルであるからだ。

発話される言葉のあまりのリアルさに、劇場の外で会話される若者の言葉も観劇前とは違ったように聞こえてくる今日このごろだが、これを演じる役者陣も見事としかいいようがない。

役が入れ替わったり、あるいは2022年版に登場しなかった相方の賢が登場したり、役者が変わったりと色々あったが、旧版・新版とでは甲乙つけ難く、それぞれの良さを場面ごとに感じた。(例えば、相方・賢のショボい優しさは、藤原季節演じる信也の優しさとは違うもので、秋元龍太朗演じる信也よりも自分中心感がよく出ていて…とか話し始めるとキリがない)

さて。まあ、とにかく見比べて楽しもう!ということに尽きる。加藤氏がてがけた過去作や映像作品も今は観られてしまうようなので、それもまた楽しみであり、忙しくもなりそうだ。

備考

「心」の象形文字の件。


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