スキマフェス経由SUPER BEAVER -熱き哲学ロックバンドにはまる
あれから私は探索の日々だ。
ディスコグラフィ。
バイオグラフィ。
SNS。
彼の腕には何と書いてあるのか。
彼らはスタッフでなかったのか。
全然見た目の違う4人のパーソナリティ。
彼らがここまでどういう道を辿ってここまできたのか。
目にしたあの日から約一か月。
私はWikipediaに始まり、過去のインスタを見返し、最新アルバムを買い、本を買い、そしてファンクラブに入って、びば子を育て、ファンクラブ限定の配信を見るまでに至っている。相変わらずの求心力ではあるが、実は色々とこの2か月間、叩きのめされており、私にまだそんな力が残っていたのかとちょっと信じられない。そして今、封印していたnoteを綴っている。
あれは遡ること8か月前、2023年の年末、スキマスイッチの武道館公演。そこで発表されたのは彼ら主催の「スキマフェス」開催のお知らせだった。同時に出演者が発表になったが、2日間あるフェスのどちらかにどのアーティストが出るのはその時点では謎。だが、遠方の私は迷わず1日目の参加を決めた。言葉にすると激寒(げきさむ)だが、これは「自分がつかんだ運命だった」としか言いようがない。
そして遡ること同じく8か月前。スキマが明石家さんまの、たしか、クリスマスの番組に出るということで観ていたところ、そこにひどくいじられている金髪ロン毛のお方がいた。どうやら卓弥くんと仲良しらしい。卓弥くんに音楽以外のことも相談に乗ってもらっていると言っている。だが、じゃれる2人を見て私は思った。「2人に1ミリも接点、いや共通点が見つからない。強いて言えばボーカルということだけが共通点」。金髪ロン毛に後ろ髪を引かれつつも、躊躇なくテレビを消した。
しかしながら私、この金髪ロン毛のお方を含めて4人を過去に目にしていたことに最近気づいた。インスタを検索する日々の中で、私の推し田中圭と千葉雄大が司会を務める「MUSIC BLOOD」で、「言葉にできない」をカバーしている映像を見たのだ。「あれ?ものすごい既視感」。
無数の裸電球の中で、「言葉にできない」を、一見このような曲をカバーする感じのしない風貌の彼らたち。だけど奏でる音楽を聴いて「この人たちすごいな。グッとくる。」と思ったんだ。そう、オンタイムで私は観ていたのだ。再び言うが、自分で言うしかないので言うが、再び寒いけれども、実に運命を感じる。沼に落ちるカウントダウンはもうここから始まっていたらしい。
時は戻り2024年7月13日(土)の中部国際空港横、Aichi Sky EXPO。雨予報だったがギリギリの曇天である。実にスキマらしい。
この日の出演者は、ゆず、SUPER BEAVER、JUJU、マキシマムザホルモン、コブクロ、小田和正、そしてスキマスイッチ。
私のnoteを読んでくださっている方、そうです。JUJUからあのリプライをもらった日から、スキマとJUJUの共演が叶う日が来ました。ドッキンドッキンです。でもすみません、今回は割愛させてください。それはまた今度。
トップバッターのゆずのさわやかさに、神席と思われるセンターブロック2列目いる私は、なぜだか泣いた。さわやかすぎる。しかも衣装までも白!!言葉もいちいちさわやかだし、さわやか王子北川に目が釘付け。何なら目は北川と合いまくりである。だが楽しくても、嬉しくても笑えなくて、私は泣く。完璧に情緒不安定である。情緒不安定なまま、ゆずが終わり、私は友達に言った。
「次の人、私、1曲だけ聴きたい曲あるんだよね」。
今思えば次の「人」じゃない、次の「バンド」である。まだそれくらいの存在。
そして舞台転換で金髪短髪の人とドレッドの人と出てきたとたんに周りから歓声という名の悲鳴が上がる。
ん?な、、、、ぜ?
この人たちになぜ悲鳴じみた歓声が上がるのかわからなかった。はい、本当にすみません。バンドメンバーをスタッフだと思ってました。
だって私が今まで見てきたバンドって、舞台セッティングや楽器の調整とスタッフがやってたから。自ら出てきて調整してるバンドマン、お目にかかったことなかったから。そう考えると彼らはめちゃくちゃ謙虚だな。
この二人がバンドメンバーとはつゆ知らないは私は、誤解したまま考える。みんなめっちゃキャーキャー言ってるけど、これはスキマにおける石成ポジ?種子田ポジ?でも金髪短髪の方がファンに向かって「待っててね」みたいなこと言って舞台袖にはけていったよな。すごい知られているスタッフなんだなぁ、、ファンに信頼されているんだなぁ、、と感心すらする私。誤解が誤解を呼ぶ。まだそんな感じ。
やがてさっきはけていった金髪短髪、青衣装のドレッド、加えて悲しそうなのか嬉しそうなのかわからないフェイスの人が出てきた。そして間をおいて金髪ロン毛登場。
派手なシャツに何を食べてるのかわからないほどの細すぎる体型。風にたなびくロン毛が美しい。思わず友達に「めっちゃメンテしてるようなロン毛だよ…」とつぶやいた。大事な時に余計なことが気になる私。
いや違う、そこじゃない!!今なら言える。時が、空気が、心が止まったあの瞬間を言葉にするなら
これ以上引き込まれるとまずいな、と思わせる存在感。
ただならぬ気配。そしてオーラ。
(うん、今度こそ言葉にしても全然寒くない。)
あの時、あの番組でいじられていたと思えない、その人とその人のバックにいる人たち。
―――SUPER BEAVER。
ボーカルの渋谷龍太は「今日はお世話になります」と直角に頭を下げた。体力温存のため座っていた私も、思わず彼の礼に礼で返す。
いやいやこの人、見た目と違ってマジ礼儀正しいんですけど!やっぱりお世話になってる卓弥くんのフェスだからそんな挨拶するのかな、なんて思ったけれど、常々発する言葉らしい。そして渋谷は「20年目の新人、 SUPER BEAVER です。」と言った。
、、、20年目なのに新人?意味が分からない。後々、少しずつ意味が分かるようになるけれども、その時は、意味が分からない、と思った。
渋谷においては黒の柄シャツ、そして腕にはタトゥーという、私の人生において出会ったことのないタイプの人である。さっきのゆずとは世界観が一変したことは明白だけど、私はステージから目が離せなかった。離してはいけない気がした。離しては後悔する気がした。私の周りは彼らの出演に笑顔だったけれど、きっと私は口を開けて凝視していたと思う。それくらいこの人たちの音楽に溺れてしまうんじゃないか、という予感があった。彼らはまだそこに立っただけなのに。
歌が始まる。聴いたことのある曲。
初っ端からこんなに「愛している」という言葉を連呼しても軽薄にならない感じがたまらない。彼らから投げかけられる音楽のスピード、直線的な方向。渋谷の声は人の心にやすりをかけたように爪痕を残す。そして4人からリスナーに向けられる視線の太さ。「愛してる」の言葉を物理的に避けられないし、一方でこんなに浴びせられるとだいぶ悦に入って避けたくならない。
そんな中、またしても大事な時に余計なことが気になる私の中でむくりと起き上がった好奇心。再び友達にのたまう。「ボーカルのタトゥーの腕の漢字、何と書いてあるんだろう」。そう思いだしたら気になって気になってしょうがない。スクリーンに映し出される映像に目を凝らした。
「御意見無用」
つえぇえーー(強えぇえーー)
すごい意志を感じる。そして再び、「御意見無用」の下に書いてある文字を読むごとく、右に首をかしげてスクリーンに集中。
「真実一路」
あちぃいーー(熱ぃいーー)
実に熱量を感じる。
ああ、この人たちは自分のやりたい音楽を貫いている人たちなんだな、ただ真っすぐにその音楽をリスナーに届けたいんだな、それが手に取るように、如実に音楽に現れているドストレートな人たち。久しぶりにそれが一目でわかる人たちに私は出会ったんだな、と思った。
その後、繰り広げられる音楽。
少し緩めな空気感で歌われたのはスキマスイッチの「キレイだ」だった。
確かカバーしていたな、と思ったのと同時に、とても色っぽく感じた。確かに「キレイだ」はアレンジによって色っぽいのだが、あのwind-s の橘慶太が歌うよりも数倍色っぽい。ドストレートバンドであるのに、色っぽさが垣間見えて、バンドの持つ表現の幅広さに感心した。後日、めざましテレビで渋谷は緊張で膝がワナワナしたとコメントしていたが、まったくワナワナは感じず、私は彼らに感嘆し、彼の美しい髪に目を細めてしばしその音楽に酔いしれた。
さて、私がとても聴きたかった「儚くない」。
東京リベンジャーズも何も知らない私が、どこかで耳にして、瞬時に「いいな」と思った曲。友達に1曲だけ聴きたい曲がある、と言ったのはこの曲だった。
イントロから引き込まれる。じっとステージに見入り、聴き入る。音楽を聴く時には曲先行で詞は後回しであるというスタイルの私だけれど、渋谷から紡ぎだされる言葉に惹きつけられる。
「儚いから美しいなんて 命はにはあてはまらなくていい」
「しぶとく僕は生きていたいよ 願わくば 一緒に」
「今からどう生きるって問い続けたいよ」
「生きてこそって 生きていてって」
(SUPER BEAVER 「儚くない」より引用)
これまではただメロディーラインが美しい曲だな、と思っていたのだけど、実際この4人を目の前にして聴くと、言葉の持つ力、説得力、リアリティが半端ない。「生きる」を真っ向からスポットライトを当て、「生きること」に執着する美しさというか気高さというか、それが本来あるべき人間の姿であると教えてくれるのだ。
日々流れていく時間にどれだけ「生きる」に意識を向けられているのか。人間は不安に陥った時、何かを失った時にその存在や価値を尊いと思い、生きるに思いをはせるものであると思っているのだが、この曲は、「はいはい、ちょっとすみませんよ」と言ったか言わないかレベルで、するりとそのイレギュラーな時に分け入って、けれど熱く「生きましょう、ともに」ということを日常的に語りかけてくる稀有な存在だな、と思った。
続けて渋谷は発する。「当事者であれ」と。(SUPER BEAVER 「小さな革命より引用」)
物事を考える時に、私たちはしばしば「俯瞰する」ことを求められる。真ん中から物事を見るのだけでなく、冷静になり見つめれば、見えないことが見えてくる、という論理。何ならそれはクールでかっこよいことの象徴になりつつある。だがそれとは逆に、彼らは当事者の自分に問いかけれと言っている。
変わりたいのなら、自分はどう在りたいのか
愛や夢、希望、未来を声にせよ
俯瞰じゃない、自分がただ何がしたいのか
(SUPER BEAVER 「小さな革命より引用」)
この曲を聴きながら、SUPER BEAVERのメッセージってどれもストレートでとても厚い熱いものだけれど、詞を辿るとすごく深くて、突き詰めると哲学的だと感じた。ずっと読んでいると内省的な人間になった気がする。それでいて、詞に対する一体性とか共感性などもすこぶる高い。一言で言うなら、人を揺さぶる破天荒な音楽である(笑)。
彼らはやりたいパフォーマンスを全力でやり遂げ、颯爽とあっさりとはけていった。そして私は愛知から戻っても後ろ髪引かれまくりで、冒頭の自分に戻るわけです。
「ファンクラブに入ったんだよね」と友達に言うと、「遠からずそんな日が来ると思ってた」と言わしめた私。現在は本と映像で彼らを深堀りしている最中である。
家庭菜園をされて、料理好きな、バランスの良い上杉
愛犬家で眉で喜怒哀楽を表現する、愛されキャラの藤原
ちょっとつかみきれない、だけど天才的アーティスト柳沢
そして、落語と本が好き、熱い金髪ロン毛のフロントマン渋谷
で、合ってますでしょうか?でもまだまだ知りたい。
ライブに行きたい。
と願っていたら、先日、スキマスイッチ大橋卓弥のセンナゲ(銭投げ)ライブに当選しまして、そちらに足を運んだところ、たまたまお隣に座った方とお話をし、Xをフォローしあい、あれ、この方ビーバーのファン?という下りがあり、スキマ以外の推しを聞かれ、ビーバーと答えたところ、まさかのチケット譲ってもらう案件発生!!!
スキマが運んでくれた、運。スキマが信用しているアーティスト。なんか、色々動いてみると、楽しいこともやってくる。打ちのめされていたけれど、「今日まで堪えた」(SUPER BEAVER 「小さな革命より引用」)のも自分。当事者としてやりたいことをしてみて、当事者であることの大切さを実感している。
11月、彼らはどんなパフォーマンスを見せてくれるのか。富山で彼らに会うのが待ち遠しい。