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2020年 振り返るのは一度のみ、あとは前に進むのみ

 年末になったので、もうひとつ、記事を書きます。

 今年は色々なことがあった。いや、ありすぎた。神様、願いが叶うならどうか2020年、飛ばしてほしい。

 思い返せば、1月、2月はまだ生活にも気持ちにも余裕があった。1月にはエレカシの新春コンサートに行っていたし、地元のスキマスイッチのコンサートにも行った。下旬にはおっさんずラブコンサートにも行って、スキマスイッチのサプライズ登場に歓喜していたし、あ、後でシンシアのコンサートに春馬くんが出演すると知って、2週立て続けに東京には行けないって断念したんだった。2月は2月で、コロナと言われ始めていたけれどそこまでではなくて、スキマスイッチのコンサートに行っていた。そうやって出かけつつ、「恋つづ」の甘さに悶えていた記憶がある(笑)。

 で、おかしくなってきたのが2月の後半からだ。まず、阿部寛のヘンリー8世に行けなくなって、そして、春馬くんのホイッスルダウンザウインドも中止、楽しみにしていたイチゴビュッフェも中止、エレカシ宮本さんのソロライブも中止、イッセー尾形と大泉洋の舞台ARTも中止、髭ダンは無期延期、秦は中止、三浦翔平のワケあって火星に住みましたも中止、安田顕の舞台も一旦払い戻し。私、どれだけのチケットを取っていたんだ。どれだけ東京に行くつもりだったんだろう。我ながら振り返るととんでもないな(笑)。

 仕事も在宅ワークの日があったりして家に閉じこもることが多くなって、エンタメに心を潤してもらえなくなって、じゃあ何かしようと思って、「ぷちプヨ」と「ピンキー」というミニトマトをプランターで育て始めた。お水をあげて日に当てて、蟻を駆除して、って植えてから2ヶ月くらいで赤くなってきた。植物を育てることがこんなにも面白いものなのかと思ったりした。少しずつ色がついて楽しみだな、ってた思ってた夏の頃、世の中に衝撃が走った。今インスタを振り返ると、色づき始めたミニトマトをアップして以降、私はあんなに愛でていたミニトマトが真っ赤になっても写真をアップしていないらしい。それすら記憶が飛んでいる。でも心が空洞になって、悲しくなったら、ひたすらミニトマトを愛でていたんだけど、インスタにあげるまでは意識がいっていなかったらしい。

 春馬くんがよそのフィールドに行ってから、私は春馬くんのローラがいかに大好きだったかを思い知った。何で?春馬くん、何で…という気持ちと、どうして春馬くんに春馬ローラが大好きだったことをお手紙にして伝えなかったのだろう、という後悔に苛まれた日々が続いた。今からでも遅くない、という友達の言葉に背中を押されて、キンキーブーツの春馬くんの素晴らしさを綴った。

 それから私は文を書き続けた。春馬くん以外のことも書いたけれど、それでも今日までに13本書き上げた。何かに導かれるかの如くにひたすらに書いた。どうしてそんなに文を書いたのかと、今になって振り返ると、やっぱり春馬くんの素晴らしさを語りたかったことに他ならないし、語ることで春馬くんの存在が現在形であり、永遠であることを自分でも認識したかったし、他の人にもそういて欲しかった。また、同じくファンの方と思いを共有することで、癒されたかったというのもあると思う。だって、あのときの私は多分、1人では何もかにも乗り越えられなかったと思うから。あれらの文を読んでくれた親友たちが私の気持ちをすくいあげてくれた事が本当にありがたかった。また全国にいる春馬くんファンと繋がりを持てて、文に対してコメントを下さったことで随分と力をもらった。結果、私は自分の気持ちを文章に綴ることで、あらゆる人に支えられていたのだ。

 よく、物書きの仕事をされているのですか?という質問を頂くのだが、私はど素人です(笑)。本当に正真正銘のど素人なのです。仕事もオフィスワークで、創造の仕事ではない。ただ、学生時代のことが今、ものすごく役に立っていると思っている。

 そもそも学生時代、私は楽器を学んでいた。ひたすら楽器を奏でる日々を送っていた。でも、これだけじゃきっとダメな気がする、と思い、音楽を学問として勉強する研究室の門を叩いた。演奏することではなく音楽の論文を書く分野に足を踏み入れたわけである。その時にひたすら文を書くことを鍛えられた。例えばシューベルトの楽曲の解説をする課題とか、突然、真鍮でできたりんごを見せられて、ここから音楽に結びつけて1時間で文章を書いて、っていう課題もあった(無理だよ、今は)。ショパンの24の前奏曲という曲の解説を毎週書かせられて、ショパンを好まなくなってしまった時期もある(笑)。そう、私は0から文章を書き上げる、ということを学生時代に叩き込まれた。ただし、当時の私の文はとても冷たいものだったように思う。文というのは俯瞰で書くことが前提で、その上でオリジナリティを出していくことが求められるからだ。でもインターンシップに行った、とあるところで、それでは伝えたいことが伝わらない、温度のある文でなければ、興味がある無いに関わらず、人には伝わらない、ということを知った。それからは少しでも温もりを感じられる文を書くことを目標にした。そうして私の文のスタイルは確立されていったように思う。ただ、卒業して○十年、全くこのスキルを活かすことなく、目の前の仕事をする日々を送ってきた。文を書くことも全くなかった。当然のことながら、このスキルは無に戻った、と思っていた。

 しかし、体が覚えているもので、どうやったら伝わるのか、わかりやすさ、温度、文章のテンポ、そんなことを考えて文を書き綴った。あの時の叩き込みが今、活かされるなんて思いもしなかった。人生、無駄なことなんて一つもないんだな、と実感している。

 そんなわけで、私は今も文を綴っている。テレビではショップチャンネル、チャンネル変えれば麗しの宝石ショッピングがやっている。どこにでもある変わらずの日常だ。でも、この半年、色んなことが変わった。変わりすぎて心がついていかない時期もあった。でもそういう時間を経て、何が大切か、自分にとって何を大切にしなければならないか、ということを考えた時間でもあった。最初に、神様に飛ばして欲しい、と願ったくらいの年だったけど、そんな中でも大切なことを拾い上げられたとしたら、自分の人生においては一つの意味があったのだろうと思う。そしてその意味を抱えて、前を向いて進んでいかなければならないと思っている。

 外は艶々のミニトマトが実る時期から、雪が真横に降る時期になった。どうやら私の住む町は大寒波と大雪に見舞われるらしい。雪も普通の日常である。年が明けたら、また「普通」に感謝しながら、普通に過ごしたい。

 この約半年、文を読んでくださった方、ありがとうございました。これからも、興味のあることを綴っていきたいと思いますので、引き続きよろしくお願いいたします。 次に書くのは「YOU」かな、と思っています。