見出し画像

絵に描いたような貧乏一家🤣子供の頃のこと…

漫画などで貧乏一家の一コマを見ると『分かるわー!』とか『あるある〜!』とか頷きながら共感します🤣

漫画に描かれている貧乏一家は、真のどん底ではないのかもしれないですね〜
漫画にして笑える内は大丈夫👌なのかも?

しかし、家計を支える、家庭を支える側の身としてはカナ〜リ大変な思いをしていたんじゃないかと思うのです。

我が家は私が生まれる前から、きっと貧乏〜だったんじゃないかなぁ〜?

父は戦時中、朝鮮半島で生まれたらしい。
8人兄妹の長男で、めちゃくちゃ貧乏〜だったと良く語っていた。

母は自分と血の繋がった人間が皆んな亡くなってしまうと言う身の上、、、
実の母親の顔を知らないらしい。
2人目の母は子を産み、子と一緒に亡くなってしまったと言う。

小さかった母は、リンゴを手に持ち、「お母さんと交換してくれませんか?」と、町中を歩き回ったとか…

その後、父親が自◯してしまい、姉が何故か盲腸で亡くなり、叔父叔母の勧めで改名している。

私が子供の頃、知らない人の名で郵便物が届いた事があり、その名は母の旧姓&改名前の名だと教えてもらった。

そんな感じで、父と母は貧乏にめっぽう〜慣れている生粋のサラブレッド同士だった。。。

そのサラブレットから生まれた私は、物心ついた頃から産まれたばかりの妹と共に託児所で育ちました。

母がクリーニング工場で働いており、工場内に託児所があって、保育士さんが3名、乳幼児が10名は常に居たんじゃないかと…

お昼のサイレンが鳴ると母達が託児所にやってきて、一緒にお昼ご飯を食べるのですが、我が家は決まって冷や飯に熱々のボンカレーをかけたモノを1つのタッパーから3人で食べるのが常でした。

母の味はボンカレーです🤣

いっつも足りなくて、オヤツの時間が待ち遠しかったのを覚えています。

17時を過ぎると、託児所にはヤマ◯キの工場から下げて来たパンがやって来ます✨
御目当てのパンを巡って争奪戦が起こります。
喧嘩にならず上手いこと自分の好きなパンを手に出来たのなら平和なオヤツTIME♪

しかし不平不満が出ると話し合いで解決!
それでもダメな場合…まだジャンケンが出来ない子供もいるので先生がテキトーに割り当てるんですよーーーー🤣🤣🤣
結局〜は仲良く半分こづつ交換したり♪

お腹が満たされると喧嘩してた事なんて嘘みたいにご機嫌さん💕

少し年齢が上がってくると知恵も付いてきて、私が5歳になった頃には自販機から王冠を盗む泥棒を働くようになりました。
…時効ですよね。今だから話せます😅

当時の自販機はコカコーラ社の瓶の炭酸飲料などが主流だったと思います。

工場内に3、4個の自販機が設置されていました。

枝に糸をくくり付け、糸の先端に磁石をテープで付けた釣竿を1つ作りました。
これを自販機の栓抜きの穴の中に垂らして釣りをするのです♪

瓶の蓋を王冠って呼んでいたのですが、、、
その王冠の内側に当たりが書かれているんです❗️

10円あたり
20円あたり
50円あたり

の3種類があったように記憶しています。
これが結構〜なお小遣いになったんですよー✨

お店じゃないと交換して貰えなかったので、工場を抜けたところにあるヤマ◯キショップに行っていました。

交換したお金でアイスを買ったりしました☺️
そのアイスが当たり棒だったりすると大喜びしたのですが、後にも先にも1度しかないかったなぁ〜
そんなラッキー1度有れば充分ですが🤣

さて〜託児所から家まではどのくらいの距離があったのかは分からないけれど
送迎バスが出ており、結構〜遅い時間にバスに乗って帰宅していた気がします。

家に帰ると電気が付かない日も多々ありましたー😅
『今日は電気無いから、もう寝るよー』
って母が言うんですよー🤣🤣🤣

それが当たり前だと思っていたので、
…そっかーじゃぁ〜しょうがないな…
ってなります。。。

電気がある日は夕飯もあるんですけど、帰りが遅いので母は作っている時間はなかったのでしょうね。
この時はまだ冷蔵庫も無かったと記憶しています。

バス停を降りたところに肉屋さんがあって、そこでコロッケを買って帰ります。

朝、ガス釜で炊いたご飯が残っているので、冷や飯にコロッケを乗せてソースをかけて食べるのですが…私はソースとかケチャップとかマヨネーズなどの酸味のある塩っぱい調味料が嫌いで、『何もかけないでー!』って叫びます!

きっと母は疲れているから塩味を欲して人の分までソースをかけてしまっていたんだと思います💦

お給料が入るとコロッケではなく、決まってハムカツを買います。

私はハムカツが好きじゃないので、チーカマを買ってもらうのですが、オカズにならない!と母は怒ります🤣

しかし、ハムカツを食べると吐いてしまう事もあったので、仕方なくチーカマを買ってくれるのです♪

チーカマを買うと何故かステッカーをもらえるので、このステッカーが目当てなんじゃないかと母は勘ぐっていました。
そーゆーわけではなくチーカマが好きだっただけ♪
なのです☺️

しかし、とんでもない食生活ですよねー🤣

この他に良く食べていた物は、イシイのハンバーグ!
周りのソースが嫌だったので、水で洗おうとすると「勿体無いからお母さんにちょうだい〜」って言うので綺麗にソースを取ってもらっていました。

翌朝は炊きたてのご飯を食べてバスに乗るのですが、オカズはないです。
ふりかけや、味海苔がある時はメッチャ嬉しかったです。

そんなこんなで、小学生になった私は、50分歩いて登下校しておりました。

今まではバスだったのに…急に50分の徒歩生活💦
歩くの嫌い〜ってなります🤣
はい!今でも歩くの嫌いです🤣

朝出る時間が違うので、私の朝ごはんは炊きたてのご飯からカニパンになりました。

途中、学校店と言われる店で購入して歩きながら食べます。
飲み物がないので喉に詰まったりします🤣🤣🤣
カニパンを買うように母が指定してきたのですが、結局のところ私自身が気に入ってカニパン以外は食べなかったです。
きっと1番安かったんだろうなぁ😅

学校は正直、想像以上にオモロないところでした。
勉強どころか自分の名前も書けないまま入学してしまった私は、最初の3年間は苦労しました。

先生が私の名前を変な名前で呼ぶんですよー🤣
私の名前は漢字で書くと別の読み方が出来る様な名で、苗字もまた少し変わっていたもので…

なので、先生は私の名ではなく別の子の名を読んでいると思っていました。

しかし目線は私を見ている???

でも私の名じゃないし、返事もせずにいたら先生が怒り出す🤣🤣🤣

今後、私は師と呼ばれる人物に恵まれる事はなかったです😁クソ教師ばかりでした!

とにかく、この1年生だった時の担任がひどくて〜家庭訪問時には、母に向かって『この子はオカシイので精神病院に連れて行った方がイイ』と言い出す始末!
…オカシイのはお前じゃ!…思ってましたけどね🤣

母は怒り狂って先生を追い返しました🤣

私は小さな頃からこだわりが強く、妹と比べてもオカシイと感じるところがあったようで、薄々自閉なのだろうと思っていたそうです。

しかし精神科へ行くような状態ではないでしょ!!!
それくらいわかるでしょ!!!
ってな具合に先生〜を追い返した母!

ハッキリ言って怖かったです🤣🤣🤣
大人が本気で怒ったところをこの時初めて見た事と、母は私を守ってくれた事で、メッチャ泣きました。

小学校に入ると、人と違うと感じるようになるのは結構〜早い段階で気がつくものですね…

何度言われても忘れ物をしてしまう。
時間が分からない。
計算ができない。
逆算ができない。

そして宿題ができない。
と、言うかやらない!!!
勉強は嫌い!!!


家に帰ると誰も居ないんですよね〜
何時間も、親も妹も帰ってきません。

外に出れば近所の子供達が遊んでいるので一緒になって遊びます。

いわゆる長屋みたいなところなのですが、子供達は皆んな〜同じ小学校なので仲良しさんです♪

自分より皆歳上なので、お姉ちゃん達が帰ってくるのを待っている感じです。

それまでは期限の切れた下げのヤマ◯キパンを食べたり、広告の裏紙に絵を描いて遊んだりします。

裏紙がないと襖に勝手に絵を描いてしまうのですが…新しく上から描き足すと父親にメッチャ怒られていました🤣
『オマエ!また描いたな!!!』って🤣🤣🤣

今みたいに紙がそこら辺にあるような時代じゃなかったですよね〜

かと言って、学校のノートに絵を描いちゃうとノートがすぐに無くなっちゃって、ノート買ってーって言うと母が悲しそうな顔になるので…ノートには絵を描けなかったです。

結構〜遅い時間にならないと家族は帰宅しないので、真っ暗になってしまう事も多かったですね。

日が落ちて暗くなってしまうと電気がない日は本当に真っ暗!
こーなると1人でトイレに行けないんですよー💦
怖くて…怖くて…もちろんボットン!です…

そして何度も漏らす!
なんて事をやってましたー🤣🤣🤣
大💩の方は流石に漏らす事はなかったです!

何故なら野💩だったからですー🤣🤣🤣
時効です!!!今だから言えること…

この頃から、家に冷蔵庫が導入!
中身を勝手に食べてしまったり、時には料理していました。

小学校に入ってから給食を知ってしまった私は温かくて美味しい〜物を結構〜口にするようになり調理をした物を食べたいと思うようになったのです!!!

卵焼きやスープなど作って家族の帰りを待ったり、洗濯物を取り込んで畳む。
食器を洗っておく。
など、しながら家族の帰りを待つのが常でした。

そんなある日!
キャベツを炒めようとガスコンロを点けると…火がつかない?!?!
壊しちゃったんじゃないか???と慌てて近所のおばさんを呼びに行く!!!

すると、、、『ガス来てないよー』と、おばさん💦
『ガスメーターも停められてるよー!』って…
よくわかんないけど大丈夫だと言うのでキャベツを炒めるのを辞めて遊びに行ったのでした。。。

のちに分かる事だが…この時、ガス代未払いで停められていたんだねー🤣🤣🤣

そういえば、一度だけ水道も停められた事があった!
水道だけは最後だと…聞くが…停められないから大丈夫と思って何ヶ月も払わずに?払えずに居たのかもしれない。

こんなに貧乏な我が家だったが、なぜか服だけは結構〜良い物を着ていた。

クリーニング工場に居るとお古が沢山回ってくるらしい。

私も妹も結構〜可愛い服を持っていた。
沢山〜ある服の中でも襟のないシャツと短パンがお気に入りで、そればかり着ていた。

そう!見た目ではない!!!
着心地重視!

襟は邪魔!!!
袖口もカフスがあると邪魔!!!
長いズボンも裾をする時の感触が嫌い!!!
短パンが好き♡
スカートは嫌じゃないけど、毛糸のパンツ履きなさいとか面倒な事を言われるのが嫌で履かなくなった。

拘りが強い。
宿題はやらない。
忘れ物が多い。
言われた事を理解出来ない事も多い。
遅刻ばっかり。

ADHDあるある。

しかし子供だと結構〜多い事でもある。。。
そーゆー子は割といた時代。

すごーく後になってから分かる事だが、私は算数障害のディスカリキュアと言う学習障害があるらしい。
時計が読めるようになったのは小学5年生の終わりくらいになってからだった。

小学1年の担任に精神病院に連れて行った方がイイと言われた時、連れて行った方がイイのかもと一瞬頭をよぎったらしいが、正直病院代なんてない!!!
と思ったとか🤣🤣🤣

そんな貧乏一家は父親の転職で少しづつではあるが、最低限、光熱費や家賃を滞納しない程度の貧乏に繰り上がって行った!
※そもそも父はお人好しで見栄っ張り。借金の保証人になったり、名義まで貸したりしてしまっていた為、我が家は貧乏だったみたいだ!

私は中学を卒業するにあたり、いわゆる普通の高校へは行かず、、、親の反対を押し切って洋裁学校に入った事もあり、学費を出してやらんぞ!!!
みたいな感じになっちゃったので、すぐにバイトを始めました。

洋裁学校はバイト禁止だったけど、学費を毎月払う約束になっていたし、自由になるお金が欲しいと思ったからだ。

この後も専門学校に入ったが、そっちも自分でバイトして学費を払った。

自分のやりたい事はドンドンやれ!
その代わり金は一銭も出さない!
手も貸さない!
責任も取らない!
それが父の教育方針🤣🤣🤣

お陰で私は自由〜に好きな事をやらせてもらえた。

そんな感じで〜お金がなく、貧乏だった我が家だが、愛情だけはたっぷり注いでもらえた♡

いつだって可愛い〜可愛い〜と言われて育った。
良い子〜良い子〜ではない!
可愛い〜可愛い〜言われてきた🤣🤣🤣

初孫だったからなのだろうか?
祖父母、叔父や叔母もめちゃくちゃ可愛がってくれた♡
だから私は自分を可愛いと思い込んでいた🤣

その思い上がりを挫かれるのは中学生になってからのこと…

あっ💦私、そーーーーでもないやー😅
と、気が付くのであった!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?