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意識について

意識って直感的には自分自身(自己感覚)のことだと思うんですネ。
これは議論の余地が無いことに思えるけれど…
ベンジャミンリベット博士が1980年代に行った緻密な人体実験の結果として、意識は受動的なものであるとが証明されています。

(ベンジャミンリベット博士の実験は現在に至るまで否定されていないし、意識は受動的なものという概念は広く受け入れられているから、これから先の文章は意識は受動的なものを正として、書き進めます)

んんん〜?
意識が受動的なものなら、自分自身が受動的なものになってしまう。
これは明らかにヘンだ!うーん…意識を自分自身だと思っていることが変なのだろうか?

少し脱線して、巷ではベンジャミンリベット博士の実験を「自由意志は存在しない」と解釈する人たちが多いけれど、これは明らかに間違えています。
意志とは本来能動的なものであり、ベンジャミンリベット博士は、意識が受動的であることは証明したけれど、意志が受動的であるとは一言もいってない(→つまり自分意志は存在する)
意識≒意志みたいに考えているのか?なんか意識と意志を混同して解釈している気がする。
自由意識は存在しないならまだしも、自由意志が存在しないなんてことはあり得ない。完全に間違えていると言っておきたいです。

(ベンジャミンリベット博士の本より)
意識は物事を認識するまでに0.5秒かかります。
例えば、車を運転していて動物が飛び出してきたとして、その動物が視界に入ってから意識が認識するまでに0.5秒かかります。
同じく、後ろから肩をトントンと叩かれたとして、意識が認識するのに0.5秒かかります。
ここから…奇妙なことが起こるのですが、飛び出してきた動物が視界に入ってからブレーキを踏み始めるのは、視界に入ってから0.15秒後なんです。
同じく、肩をたたかれたことに反応して振り返るのも、0.15秒後からなんです。

つまり!…自分の中に意識とは違う、能動的な何かが存在します。

そして意識の素晴らしい働きを解説すると、(これがメインイベントなのですが
飛び出してきた動物を意識が認識した瞬間(+0.5秒)に意識は、0.5秒前(-0.5秒)からその動物を認識していたと勘違いして辻褄を合わせます。
同じく肩をたたかれたことを認識した瞬間(+0.5秒)に意識は、0.5秒前(-0.5秒)に肩をたたかれたと勘違いして辻褄を合わせます。
そして意識は、自分の中の能動的な何かがしたことを、あたかも自分(意識)がしたことだと更に勘違いして、これまた辻褄を合わせるのです。まさに素晴らしい意識の働きですよネ〜💦

ところで…能動的な何かって一体なんなんでしょう?この存在にいち早く気付いたのはフロイトだと言われています…知らんけど。
そしてフロイトはこれを無意識とよんでいました。

そう!人間の中には意識と無意識が表裏一体となって存在するのです。

意識の素人の人にも分かりやすく、人間をパソコンに例えて見ると、意識はパソコンのモニターのようなものです。
モニターによって(人生)ゲームを見ることはできるけど、モニターからゲーム内のキャラクターを操作することはできない。
キャラクターを操作するのはマウスとかキーボードで、こっちが無意識になります。
そして無意識もモニターがなければキャラクターを正しく操作することはできなきから、両方とも(人生)ゲームにはなくてはならない大切なものですかネ〜w

最近読んだアントニオダマシオ先生の「デカルトの誤り」は、なかなか良かったです。

デカルトがいった「我思う故に我あり」は、まさにモニターからキャラクターを動かせる的な意味で、ダマシオ先生はそれが大きな誤りだといっています。

ここまできて…「自由意志は存在しない」でも、別にいいんじゃねぇ?って…ふっと思ったりもするけど、その混同は絶対にダメだと強く否定します。

意識なら無意識を映しているだけだから、自由意識が存在しないならまだしも…
意志に自由が無いなんて有り得ないことだし、そう思うと色々とおかしなことが起こりそうで…w

これらのことをキチンと理解していると、いろんなことが見えてするから、大変お得ですよ〜🉐


※ 次回は無意識について書きます🙌✨

意識は自分自身(自己感覚)だけど、受動的なもので、意志とか意思決定とかには全く関与することが出来ない…というのが今回の話。
(意識は…勘違いと辻褄合わせが得意な憎めない奴ですよネ〜)

意志や意思決定は無意識側の話で、でも…無意識はどうやって意志とか意思決定をするのか⁉️っていう話〜
(無意識は…良くも悪くも客観的なんですよ〜)

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