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人生の主導権をにぎる、ということが分かった!

こんばんは!

今まで言葉だけで
理解してるつもりでいて、
分かっているつもりでいたことがありました。

それは
決める、ということ。
さらに
人生の主導権をにぎる、ということ。
さらに
自分の人生を生きる、ということ。

分かってるつもりでいて、
そうしているつもりでいました。

でもそれが
やっと感覚的に分かったんです!

全く違うところで生きていたんだ!
と、この感覚の違いに驚いています。

例えば、家事。
やらねばならないことが沢山ある。

それをその都度、自分に問う。
「今、何がしたい?」

その時に家事がやりたいなら、
やれば良い。

でも、「寝たい」とか「座りたい」とか
「漫画が読みたい」とか…
やらねらばならないこととは全く違うことが
出てきたらどうすれば良い?

そこなんです。
今までの私は、「やりたくないけど、やらねば」でやっていたから、
どんどん疲弊してしまっていたんです。

でも、本当は少しだけでも「座りたい」という気持ちを満足させてあげて、
少しでも座ったら、気持ちが変わって、家事をやりたくなった。
なんて場面が沢山出てきたんです。

そのくらい、ちっちゃな欲求すら
聞いてあげてなかったんですね。

さらに、です。
仮に、やらねばならない事があって、
でも自分の「今、何がしたい?」という問いに
「寝たい」と返ってきた。

それでも寝てられない。
その時は、自分に「今、寝たいよね。でもこれをやらないと、子供達がお腹が空いたって言うんだ。
彼らの笑顔がみたいから、ちょっと頑張ってご飯を作ろう。」と決める。

ここなんです。
「やらねばならないから」やる。
のではなく、
「彼らはがお腹が空いたと言うから」やる。
のではなく、
『私の意志で、
私が彼らの笑顔を見たいから、
私が彼らがお腹が空いたとブーブー言われるのが嫌だから、
私が先回りして、動いた方が楽だから」やる。

という事だったんです。

つまり、自分の言動は全て
「私」が決めて、「私」が行動した。
と変えていくんです。

そんな風に「自分」を主体にしていることは
当たり前だと思っていたのに…

「誰かのためにやってあげてる」だったり、
「やりたくないけど、やらねばならない」だったりしていたんです。

そうでなくとも、
「先に動いた方が、自分が楽だから、安心だから」という理由で行動の選択をしていました。

でもそこには、
自分で選んだ、決めた、というものがなかったから、
そこすらも「自分で決めたこと」と認識するだけで、
感覚が変わったんです。

つまり
いちいち他責にして生きていたんです…。
それにすら、気づいていなかったんです。

だから、「やらねば」という言葉が出てくるし、
「やらされてる感」たっぷりだったし、
何よりも疲弊して過ごしていました。
「なんで私ばっかり」と文句も出る時もありました。

でも自分で決めて、自分主導で過ごしていたら、
疲れないんです。
しかも誰のせいにもしないから、愚痴も出てこないんです。

あと一つ。
やりたくないけど、それでも現状的にやらないといけない時は、
「やりたくないよね。でも今は頑張ってやろう。」と自分の気持ちをわかってあげた上で、自分で決めていけば良い。

そんな風に、自分の声を聞いて、動いてみたら、
ほんの1日、それで過ごしただけで
全く捉え方が変わりました。

前回、結局内側だとお伝えしましたが、
まさにその通りでした。

力づくでなく、
流れにそって生きる。

ラク、というとその表現も語弊がある気がするけど、ラクなんです。

力を抜いて、自分の意志で生きていけるのは
当たり前だけど続けることで
自分らしく生きられるんだろうなというのは
容易に想像がつきます。

自分軸、
自分主導、
人生の主導権をにぎる、
自分で決める、
自分の人生を生きる

それらの言葉が
やっと自分の中に入ってきました。

とてもとても
力強くなれた気がします。

この気づきが大きな転換となりそうです。

これから、やっと自分の人生を自分で決めていける。
そう思うだけで、ワクワクします。

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