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私は普通のことができない人間なのか?と、気づいた瞬間。
こんにちは!
薄々気づいていたし、
それでも認めたくなくて、
ガムシャラに頑張っていたけど、
「私って普通のことが出来ない??」のか…?
と気づいてしまったんです。
それは人間関係のことです。
コミュニケーション障害だと言われればそうだし、
人見知りだし、
雑談とか何話していいかわからないし、
沈黙が怖すぎる。
それでも、
そんな自分は嫌!と悪あがきをして、
私は普通に話ができるんだから!と子供のように駄々をこねて
自分の気持ちを完全に無視しして生きてきました。
本当は
合わせるのが辛いし、
話ができないのに、その場にいるのがしんどくて仕方がないし、
人の中にいるとものすごい疲れを感じてしまう。
それなのに、
人に囲まれてる人が羨ましくて、
明るくなりたくて。
でも、
私は暗いんだよ。
私は雑談が出来ないんだよ。
なんでもいい話なんて…無理なんだよ。
大勢の中に入っていくなんて
怖すぎてできない。
だからいつもそこから逃げてたんだ。
潜在的には分かってるから、
そんな場面にならないように
巧妙に逃げて
安心安全な場にいたんだ。
でもさ、
いいじゃん。
雑談が出来ない。
暗い。
人が苦手。
おとなしい。
つかみどろこがない。
普通じゃない。
みんなが当たり前に出来ることが
出来ない。
いいんだよ。
それが私。
みんなが当たり前に出来ることを
やろうとするから、
本当の自分をずっと見失って生きてきたんだよ。
そこにエネルギーを使うから、
本当に使えるところに、必要なところに
エネルギーを使えなくなってたんだよ。
でも、
認めたら
すっごく楽になった。
普通じゃないと、
1人になってしまいそうで怖かった。
当たり前に出来ることが出来ないと、
嫌われて、誰もいなくなっちゃうんだって
思い込んでた。
そしたら怖いじゃん。
孤独は嫌だから。
人は苦手だけど、
もっと細かくみたら、
何がその苦手意識を生んでいるのかがみえてきた。
人に合わせて、その人の機嫌を取れないことで
自分がダメな人間だって
思ってしまうのが嫌だった。
だってそれって
自分の価値がないって
思えてしまう。
それってキツい。
でも、もう良いんだよ。
自分の価値は
本当に「人の機嫌を取れるかどうか」で決まるものなのか?
違うよね。
人に合わせる人間が
果たして大切にされるのかな?
違うよね。
雑談が出来ないと
嫌われるの?
違うよね。
そんな人なら
きっと勝手に離れていくよ。
だって
一緒にいたってつまんないじゃん。
そんな風に合わせてくる人なんて。
だったら、
暗くても、
雑談できなくても
良いじゃん。
それが私。
それを認めて、ここから生きていこう。
認めて、
そこから「どうしたいのか?」と問うていこう。
それにしても
普通に雑談とか出来る人、
本当にすごいよなぁ。