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人と関わるのが面倒くさい。その理由が分かったら現実が動き出した。

こんばんは!

私、人との関わりが苦手で、
怖くて、
それなのに
奥底では関わりたいと思っている
チグハグな人間でした。

そして、この前
ポロっと友人に
「私は人と関わるのが面倒だ」と言っている自分がいたんです。

これから関係を作っていく人に対して
面倒だと思ってしまうんです。

繋がりたいと思いつつ、
面倒だと感じてしまう。

その人のことが羨ましいと思いつつ、
関わるのは
面倒だと思ってしまう。

じゃあ、その面倒って
「何が」面倒なのか?をみていったんです。

まず出てきたのが、
「やりとり」。

つまり、LINEやメッセージのやり取りです。
なぜなら、個別に連絡し合うのはいいけど、
グループになると、
無意味な言葉が乱立して、
それをいちいちチェックすることに
とても面倒を感じていたんです。

でもよくよく考えれば、
そんな入らなくていい話なら、
スルーしておけばいい。

別に反応しなければいい。

だけなんです。

でも必要なことを逃したら…と思うけど、
本当に必要なことであれば、
リマインドしてくれるし、
さらには、入ってこない情報は
自分には必要ないものなんです。

そう思ったら、
少しラクになって、面倒から少し離れました。

そこからさらにみていった時、
そうは言っても、
やり取りの中で、
やはり少しでも時間が取られるのは否めないですよね。

それは個別でも。

そうすると、
次に引っかかるのは、
時間が奪われる、ということ。

そして、
その時間が奪われるというのは私の場合、
「家族との時間」が奪われると思い込んでいたんです。

つまり、人との関わりを増やすことは
面倒だと感じる。
その理由は家族との時間が奪われるから。


そこで見えてきたのは、
「家族を優先すべき」という思い込みです。

家族を優先するのは構わないし、
それは大切なことだと思うんです。

でも、
それを「すべき」という言葉が出てきた時点で、
あれ?と思ったんですね。

なぜ、私は「すべき」になっているんだろう?と。

すると、母が「家族優先」の人だったんです。
自分の気持ちも抑えて、
家族のため、子供のために自分の人生を捧げる生き方が正しい。と。

だから、「家族優先にすべき」でないと、
幸せでないし、嫌われるし、
そうしないことへの大きな恐れがあったんです。

でもこれって思い込みでした。

「家族優先にしたいから、優先で生きている」のと、
家族優先に「すべき」で、生きているのとでは
全く違います。

自ら進んでやるのと、
やらされているのとの違いがここにありました。

だから、私は「面倒」というラクな言葉で
家族を優先させるから、他の人とは関わらないようにしていたんです。

でも、
本当はとっても関わりたいと思っているんです。
そこに行けば、
恐れずに飛び込めば、
私の望むものがあることを奥底では分かっている気がしてならなかったんです。

そしてもうひとつ。
目の前でリアルでの会話はいいけど、
せめて電話やzoomならまだいいけど、
メールやメッセージだと誤解を生みやすい。

そう思い込んでいるから、
打ち込んだ言葉を何度も反芻してからでないと
送信できなかったんです。

でも、それすらも
思い込みじゃないのか?と思いました。

なぜなら、
自分の普段から発している言葉は
自分が滲み出てしまうから。

だったら
そんなに何度も反芻する必要はないんじゃないのか?
そしたら、そんなに時間はかからないよね。

そう思ったら、
また気が楽になりました。

こうやって軽くしていったら、
「いけるかも」という気になってきたんです。

もしかしたら、傷つくかもしれない。
もしかしたら、嫌な思いをするかもしれない。
もしかしたら…

でも、
いつまでそれを続けていくんだろう。。。

そして「私はどうしたい?」という問いをしたんです。

その問いの答えは「変わりたい」「関わってみたい」でした。

だから、あえて飛び込むことに決めました。

関係性を作ることに挑戦してみたい。
それを今までとは違う感覚で関わってみたい。

そして、飛び込んだ時の胸の熱くなる感覚を見逃さなかったので、

面倒で片付けていたものを
恐れている自分を
新しい世界に連れていくことに決めたんです。

本当に些細なことだと思います。

やってしまえば、
なんて事ないんです。

悩んでいたのが
くだらないくらい。

もう決めたら、
自分の作り出す新しい未来が
より明確に、より楽しみに想像できるようになったんです。

想像できないものは
創造していくことはできません。

今までは
恐れの中にいたから、
安心の中にいたから、
いくら想像しても、
楽しみなんて思えなかったんです。

不思議ですよね。

今やっと、
幼い頃から望んでいた
人と深く繋がっていく場所へ進んでいけるんだと思うと
とても喜んでいる私がいます。

「面倒」という便利な言葉の裏に、
過去の私が自分を守るために
一生懸命に作り上げてきた大きな「壁」がありました。

その壁の中で、
私は壁の外に出ないように思考を働かせて
自分を守っていました。

それは自分を変える事なく、
安心な場所にいさせて、
挑戦をさせず、
怖い思いをさせないように守っていた場所。

幼い頃は、そうしないと
生きていけないと思っていたから。

それが思い込みとなり、
自分自身を守っていたから。

でも、その壁を
やっと超える時が来ました。

人生は選択の連続、と聞くけれど
根本の自分の感覚を変えていかないと
その選択はいつも同じ。

だから、根本を変えていかないと
結局は変わらなかったんです。

これから私はどんな世界を見ていくんだろう。
どんな世界が見たいんだろう。

それを常に問うていき、
挑戦をやめない人生にしていきたいと思います。

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