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「安心」の中にいることが怖かった。

こんばんは!

私、いつもビクビクしてて、
何をするにも本当に生きづらくて、
「なんで人間やってるんだろう」なんて
昔は思っていたほど、
しんどかったんです。

本当は
いつも笑っていたいのに。
いつも楽しくしていたいのに。
いつもご機嫌でいたいのに。

あれしなきゃ。
これしなきゃ。
大人として、姉として、母として、こうあるべき。。。

そうしないと、私は嫌われてしまう。
そうしないと、私に価値がなくなってしまう。
そうしないと、周りに誰もいなくなってしまう。

そんな風に思ってたんです。

だから生きた心地がしてなかったんです。
いつも急かされている感じだったんです。

それは誰から言われたわけではなく、
自分の頭の中で勝手にそんな感じがしていたんです。

でもそれは、
思考の声でした。

そして、その思考の声に従って、
そこにいることを私はずっと選んでいたんです。

なぜなら、それが私の「当たり前」だったから。

だから、その声がしても
それをそのまま受け入れた方が楽だったんです。

それすらも、そこを選択していたんですよね。

でも、ある時から
(潜在)意識と、思考というものは
別であることを知りました。

そして、「あ、これは思考の声だ」と認識することが出来るようになりました。

その思考の声に従うと嫌な気分になったり、 
自己否定が止まらなくなったり、
苦しくなったり、
生きている価値を感じなくなったりするんだということを体感するようになりました。

つまり、
その声にとどまると
気分が最悪になるんです。

それなのに…
私はそこから離れることが出来ませんでした。

その声から離れる選択が出来なかったんです。

なぜなら…
「安心」を選ぶのが怖かったから、
なんです。

「そんなことをしたって無意味だ」
「どうせ出来るわけがない」
そんな思考の声がしたら、
「そんなことないよ」
「大丈夫。全てうまくいく。」と言い聞かせる。

でも強烈に不安になるんです。
「本当に大丈夫なのかな。」
「そんなこと言ったって…そんなにのんびりしてたら、置いていかれちゃうんじゃない?」

そうなんです。
「自分は存在していいんだ」と、
安心させる方に行かせようとすると
不安が襲ってきてしまうんです。

だから、思考の声に従う選択をしてしまう。

そんな繰り返しでした。

でも、それはただの幻想だっんです。
「安心」の方に慣れていないから、
何か起こったら怖いと思い込んでるから、
先に布石を置いておいてるだけなんです。

本当は何も怖いことなんて
起こりっこないんです。

そう。
ただの妄想なんです。

だから、はじめは大変だけど、
「安心」にいることを許可してあげて、
「大丈夫」と言い聞かせていくことをひたすら続けています。

だってそうですよね。
赤ちゃんは生きているだけで、
呼吸しているだけで、
笑っているだけで、
寝ているだけで、
愛される。

本来の私たちは、
そんな存在なんです。

それを忘れてしまっているだけ。

存在が「安心」するところに居続けようと思います。

なぜなら、
本当はそこは怖くないから。
本当はそこが居場所だから。

丁寧に丁寧に
自分と向き合っていこう。

そう思います。

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