私たち日本人女性が生きづらいわけ
私たちは、小さい頃から空気を読むとか、
周りに合わせるとか、個人よりも集団行動の大切さを
教わってきた。
この個人よりも集団、
組織とは会社とはこういうものという考えが、
私たちを苦しめている。
戦後、みんなで復興をという一致団結の元
みんなで豊かになるために組織にいれば
安定を与えられ
みんなで頑張る時代はよかったかもしれない。
けれど、今はこの組織のため、
誰かのため、という自己犠牲を伴う生き方が、
自由を感じることができず
自分を苦しめているのである。
なぜなら、私たちの心の満足は、
自分で自分を満たせる状態であり、
自分の意志で物事を決定できる意識状態であり、
決して他人のため、組織のために
我慢して生きることではないからだ。
まずは、自分(個人)を満たすことが先。
その次に他人、組織などだ。
自分の意見が言えない、
自分の考えがわからない、
○○しなければいけないからそうする。
これでは、自分という存在が、
自分の意志を尊重していないことになる。
こうやって、自分の意志で行動せず
周りに合わせていくと、
自分には
物事を決定する力がない、
自分では何もすることができないと
思い込んでしまったりする。
自己肯定感、自己信頼が低い状態。(以下Aとする)
すると、どうだろうか。
磁石のように、
自分でなんでもやらねばならないと
頑張ってきたタイプのしっかり者で
面倒見のいい人や
上司やリーダー的存在の人が現れて、
自分の生き方が正しいものだと、
自分を頼っていいよと
その自己肯定感が低い人を利用して
自分の存在価値を見出す人が現れる(以下Bとする)
それらの人(B)は、相手(A)を弱者とみなし、
自分から離れないような関係を築こうとする。
思い込みは怖い。
自分ができない人だと思い込むと
こうやってパワハラ上司や、モラハラ夫や妻、
依存関係の恋人、いつまでたっても子離れできない親(Bの人たち)などが目の前に現れる。
この相手を弱者と見ないしている人たち(B)も
決して自己肯定感が強いタイプではなく、
自分の意志をもって生きてこなかったが故に、
誰かのために生きなければ
自分の存在価値は認められないと思っている。
そして、そんなつもりはなくても
知らぬ間に誰かのためを思って
頑張ってやっているという状態が、
自己犠牲状態を作っている。
つまり、良かれと思って、
自分の意見を言わず押し殺していたり、
他人のためと思って自己犠牲をすると
満たされない気持ちは増すばかりで、
共依存の関係性で足りない愛を補おうとする。
それでも心の違和感は残る。
心に空虚感や孤独感があり、
体の一部分が凝り固まったりする。
とにかく、これらを解決するためにも私たちは、
自分の考えを言うこと、自分を信頼すること、
頑張りすぎず、自己犠牲をやめるということが必要だ。
私自身も自分さえ我慢すれば、
意見しなければ、
私はなんてダメなんだろうと思っていたタイプで
もれなく夫はモラハラ状態だった。
なんで私はモラハラに合うんだろう、
なんで私は苦しいんだろう、
なんでなんでと苦しい自分を救うため、
理由を知って納得することが
まず第一歩だと思った。
もし私も同じだ!
という人がいたら、
「大丈夫だよ」と伝えたい。
自己犠牲とか人の意見に合わせるとか
社会と共に勝手に染みついたものだから、
自分の意識次第で変われるし、
考え方や捉え方でどんどんその思考癖は変わるから。
今日はここまで。
記事を書きながら、思いついた
アファメーションを記載しておく。
(アファメーションとは、
肯定的な言葉を自分にかけることによって
ポジティブな思考に近づくことができる
自己宣言のこと)
もし、声に出したり、
紙に書いたりできるようだったら、ぜひしてみてね。
私たちには、考える力がある。
私たちには、価値がある。
私たちは、自分で物事を決定できる力がある。
私たちは、頑張りすぎなくてよい。
私たちは、自分のために生きてよい。
私たちは、自分で自分を愛する力がある。
#自己犠牲をやめよう #自分らしく生きる
#自分の力を信じる
#日本人女性よ立ち上がろう
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