子どもを信じる?自分を信じる?
親子関係で大切なのは子どもを信じることだ!と、よく言われます。
「それはそうだけど、危なっかしくて、ついつい口を出してしまうんです!」
これは、親心、特にお腹の中で十月十日、生まれてからも何もできない赤ん坊に乳を与え、おむつを変え、365日、四六時中育ててきた母親であれば、無理もない一言なのかもしれない。
自分の子どもを心から信じることができる親というのは、自分のことも信じることができている。
自分に自信がないと、周りが気になる。周りの人に自分はどんな風に見られているのか?周りに気に入られようとする。
親は子どもに「お友達とは仲良くしなさい、先生の言うことは聞きなさい」と教え、我が子がその通りの良い子になったら安心する。
世間的な良い子とは?
周りから見て良い子と言うのは、大人の都合に合わせてくれる子。
ワガママを言わない、
自分勝手な行動をしない、
周りに合わせて空気を読める
こんな人間ばかりの社会は確かに平和かもしれない、でも、進化もしなければ改革も起きない、自然淘汰され、種の保存は難しいと考える。
自分以外の人間を信じるという事
人を信じる事の根底にあるのは「私は大丈夫」という自分を信じるチカラなのではないか?と、私は思います。
「信じていたのに裏切られた」と、嘆く人がたまにいます。
この「裏切る」という日本語の表現、なんとも面白いと思いませんか?
「裏切り」とは、「裏心を切られる」という事なのだそうです。
表向きの関係性の中で起きるのではなく、自分の中にある「裏の心」ここを切られるという事なのだそう。
どんな時もホンモノの自分でいる
子育てをしているとどうしても、
我が子に良い子でいて欲しい、
先生の言うことを聞いて
お友達とも仲良くして
「クソ」とか「シネ」とか「カス」とか「クズ」とか、
そんな言葉を周りの人に対して絶対に使わない子であって欲しい、
と、親は思うわけです。
言葉の裏にある本当の心
親は我が子のためと思って、子育てをしている。
少なくともそう信じて育てている。
これが子どもを信じると言うことなのだとしたら、そして、「お母さんはあなたを信じてるよ」オーラが出ていたとしたら、子どもに伝わるのはどんな思考でしょうか?
ルソーは
人間は生まれつき善なる存在である。大人がそれを邪魔して悪なるものとなる。と言ってます。
幼児期は、自然の中で、余計なことをせず、見守る教育を施された子は、強いカラダとココロを兼ね備え、自分に自信を持ち、周りの人を善なる存在として信じることができるようになるのだそうです。
植物に例えると親は「根っこ」と言われます。根っこが腐ると植物は育たない。枝葉に水をあげても無理なのです。まずは、親が自分を信じる事ですね。