私の事
何度も何度も記事にしては消して上手く書けなくて消してる私の事。
やっぱり記事にきちんとまとめようと思う。
私の感情の整理と向き合うため書こうかなと思いました、
記憶が曖昧な部分も多く矛盾もあると思います。
あと、文章下手なのは許してね笑
私の家庭は複雑で
私と兄は父も母も一緒で
下の妹2人は父親だけが違う
一番下の妹は私と父と母も違う
というとても分かりづらい関係で
私の覚えてる1番古い記憶は、カントリードールの抱っこしてアパート?マンション?みたいなとこのロフトみたいなとこで遊んでる記憶。
きっと、母と父の出会った時の記憶なのだと思う。
物心ついてからずっと父と母は仲が悪くて
毎晩のように怒鳴り合いの喧嘩をしていてその度に兄が「俺は出ていく」って窓から外に逃げてたのをよく見てた。
当時の私にはなんでこんなに仲が悪いのか分からなかったし、兄がなんでこんなに父を嫌いなのかも分かってなかった。
私には優しかったし怒られたこともあまり無かったから
私たち家族が住んでた家は
平屋の賃貸で部屋が二部屋しかなくて、トイレがぼっとん便所という何ともほんとに現代?って思うレベルの家に住んでた。
ゴキブリやネズミ、はたまたモグラ等も出るくらいの場所に住んでました。
今でもとても都会的になったけど。
兄はとにかく父に反抗的で
事ある毎に私に「ホンモノじゃない」って言ってきてて私にはその意味が理解できてませんでした。
幼稚園の時はとにかく家に父がいなくて
私は、いつも母と兄と3人でいることが多くて
その度に兄と喧嘩しては大騒ぎしていたり
父と母が仲悪い以外は至って普通でした。
1番目の妹が産まれるまでは
母の状態が少しずつおかしくなっていったのは1番目の妹が産まれる時でした。
それまでの母は掃除は苦手だけどお母さんとして頑張ってるお母さんでした。(あくまで私からみた母親だからほんとにそうだったかは分からないけど)
私が今でも父親は嫌いだけど
母親を心の底から大嫌いと思えないのはこの記憶がきちんとあるからだと思っている。
私と兄は3つ違いで共に10月生まれで
よく、2人揃ってお誕生日会を開いていて
そこには母のお手製のケーキ、お菓子
美味しそうな料理の数々がテーブルいっぱいに並んでて呼ばれた兄と私のお友達がみんな口を揃えて「すごーい」って目をキラキラさせてたのを見て私は、「うちのママすごいでしょ!」と誇らしく思ってました。
病気がちで入退院を繰り返してた私ですが
その度にいつも優しく看病してくれてた思い出もあります。
私が5歳の時に母が妊娠
この時ら辺から母の情緒は不安定になっていきました。
元々、気性は荒くて
怒りっぽい人ではあったし、父とも毎晩喧嘩するくらい仲は良くなかったけど
完全に酷い親と思えないのは
きっと、私が産まれてくる妹のセレモニードレスを毎日嬉しそうに編んでた母を見てたからなのかなと思います。
何度も言うけど
多分、こういう記憶が全くなかったら私はきっと両親をずっと憎んでたし許せなかった思う。
ここら辺から、母はよく怒るようになって
私と兄がいつものように大喧嘩して私が泣きわめいていると
いつもだったら「うるさい!!!」ってだけで終わるのに
度々、包丁を持ち出して喉元に突きつけられて
「次泣いたら殺すぞ」とよく言うようになりました。
怒られる時の折檻も
前はスリッパなどの柔らかいものだったのが
布団叩きや革ベルトなどに変わっていき
とても不機嫌だった時はその革ベルトに水を含ませて叩かれていました。
何で怒らせたのか記憶は曖昧で全然覚えて居ないのですが、真冬に素っ裸で雪降る中
外に放り出された事もよくありました。
多分、洋服を汚したとかそんな理由だったと思う。
段々と兄も反抗的になり、この頃からは父によく兄が殴られてるのを見ていたような気がします。
私が6歳の時に母は妹を出産しました。
長くなったので今日はここまでにします。
またチラホラ書いていきますね。
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