私の中学校はマンモス校でした 特に私達の学年はベビーブームで かなりの人数でごった返してました 小学校で仲良くしていた子とも バラバラになり また一から友達作りで大変でした クラスに仲の良い子がいて 部活もその子と一緒に入る事に バレーボール部に入部する え?! 嫌いじゃないけど…初心者です 友達はバレーボール経験者 知ってる子も何人かいたので まあ、いいかーとやってみる事に 地獄の始まりです…www 一年生部員はその当初 15人くらいいたかなぁ? 最初に先輩から厳
小学校時代の私は そこそこ色んな友達と 仲良く過ごしていた 勉強はできる方ではなかったので 授業は苦痛でしかなかった 体育と音楽、図工は得意で とても楽しみだった♪ プール以外ね😅 この時代は先生も厳しく 今なら大問題になるような事も 普通にあった そして、イジメも普通にあり 皆んな順番にハミゴになる ゲームみたいなものだった 私はこの当時から 理不尽な事が許せなくて ハミゴにされると リーダーの子から順番に 周りの子へ 「なんでなん?私なんかした?なぁ!」 と相手が
私の母はなんでも手作りする 手先の器用な人です。 料理はもちろん、洋裁、編み物 お菓子作り、パン作りと 幼少期から母の手作りに 囲まれて育ちました。 物心ついた時から 包丁や針を持たされ 私も気がつけば他の子供達よりも 色々器用に出来ました。 おやつはクッキーや ドーナツ、パン、ケーキなど 母が作ってくれました。 それを見て私もお手伝いしたり 教えてもらって自分で作ってみたり。 母は普段から忙しくしていて 構ってもらう時間があまりなかったので お料理やお菓子作りのお手
家族の為に必死で働いてきた父 77歳頃だったかなぁ 物忘れが頻繁に増えて 本人も焦っている感じでした。 父は長年タクシー運転手で かなりのキャリアがあり 道にはとても詳しかったのに 道を間違えることが増えてきた。 シルバー人材派遣として 働いていた仕事でも 最終の現金集計が合わず 何回もやり直していたのか 段々と帰りが遅くなっていた。 帰ってきたと思ったら 鍵を掛けるの忘れたかも… と慌てて仕事場に戻ったりと 様子が明らかにおかしかった。 そして、運転免許更新での
私の父は昨年2023年3月に 天国へ行ってしまいました。 厳しくてよく怒られたけど なんでも出来るし いざという時は とても頼りになる父でした。 父はとにかく働き者で 私が幼少期の頃は 自宅の工場で下請けの仕事を していました。 工場から聞こえる機械の音 商品を梱包する段ボールを 組み立てる音 トラックのエンジン音 汗だくになりながら 頑張る父の姿が カッコよくて好きだった。 邪魔にならないところで 父の仕事風景をよく見ていたなぁ。 商品の説明書をたたむ作業を 教えて
私はお婆ちゃんん子で 困った時、泣いてる時は すぐお婆ちゃんの所へ行って ギュ〜っと抱きしめてもらい よく慰めてもらった。 いつも優しく味方でいてくれる お婆ちゃんが大好きだった。 幼稚園生活がもうすぐ終わる まだまだ寒さ続く日の夜 お婆ちゃんは突然 天国へ行ってしまった。 幼いながら祖母の死に 直面してかなり動揺し 受け入れる事が出来ない… そしてお通夜が始まり 親戚、近所の人、祖母の知人 沢山の人で家はごった返していた。 夜な夜な飲み食いしている大人達。 部屋の
泣き虫で怖がりな幼少期の私も いよいよ幼稚園へ入園🌸 保育所とはまた違う環境で 大丈夫なのだろうか… 幼稚園では近所の子供達が 皆んな通う為、幼馴染がいるので なんとか泣かずに通えた。 他の地域の子供達とも 仲良くなって楽しんでいたと思う♪ 先生も優しくて大好きだった♡ この頃、女の子らしさが芽生え 男の子を意識し始める。 そう、初恋です🥰 好きという感情に戸惑いながら その子と遊ぶとドキドキして 嬉しくて胸がときめいた! 他の女の子と遊んでるのを見ると やきもちもやい
祖母、父母共に働いていたので 私は保育所へ預けられました。 ここでもやはりギャン泣きで…w 毎朝、母が先生に預けて 急いで去る姿と 先生にギュッと抱っこされて 「おかぁちゃーん😭」と泣き叫んで ジタバタしていたような 記憶があります。 楽しい記憶はほぼないです。 当時の写真は笑顔がなく ふてぶてしい顔で 写っているのが多いです(^_^;) アルバムを見て一番笑えたのは プールでの写真。 皆んなはプールに入り 笑顔ではしゃいでいるのに 私は1人パンツ一丁でプールサイドに
当時、私の家は決して裕福ではありませんでした。 住まいは母方の実家で父はいわいる サザエさんでいうマスオさん。 オンボロ平屋の母屋… ドリフのコントに出て来るような あの木造平屋です。世代がわかる…w そして田舎だから土地は広いので 私が生まれて離れの平屋を父が建てました。後に子ども部屋となります。 今もなお残っており、物置き部屋となってます。 祖父は戦後、母が生まれてすぐ亡くなり 祖母は母の姉叔母と母を1人で育てた パワフル婆さんなのです! 私は3番目の子どもだったので
【MEGUMI この世に生まれる】 197X年 奈良県○○市 U家の次女として生まれる。 △△山ふもとの自然豊かで ひっそりとした小さな集落。 母方の祖母、父母、兄、姉の 6人家族の一員となる。 なんと!私は生まれた時 4000gの大きな赤ちゃんだったのです‼️😳
始めてみました! 【私の人生どないなってんの⁉️】 をテーマに 今までの波瀾万丈な日々を 思い出しながら 辛いけど楽しんでる… 自分のリアルな姿を残して 何度も転びながら幸せを掴みに いこうとする人生を 少しずつ書いていきます。 最後は幸せと、豊かさを お届けできることを願って✨