MEGUMI

波瀾万丈人生を辛いけど実は楽しんでいる バツイチのパティシエ🍰 七転び八起きで常に目標や夢を掲げ諦めずに ひたすらコツコツ前に進む! さて、最後は理想の場所へ辿り着くのか⁉️

MEGUMI

波瀾万丈人生を辛いけど実は楽しんでいる バツイチのパティシエ🍰 七転び八起きで常に目標や夢を掲げ諦めずに ひたすらコツコツ前に進む! さて、最後は理想の場所へ辿り着くのか⁉️

最近の記事

中学での部活がキーポイント

私の中学校はマンモス校でした 特に私達の学年はベビーブームで かなりの人数でごった返してました 小学校で仲良くしていた子とも バラバラになり また一から友達作りで大変でした クラスに仲の良い子がいて 部活もその子と一緒に入る事に バレーボール部に入部する え?! 嫌いじゃないけど…初心者です 友達はバレーボール経験者 知ってる子も何人かいたので まあ、いいかーとやってみる事に 地獄の始まりです…www 一年生部員はその当初 15人くらいいたかなぁ? 最初に先輩から厳

    • 私の少女時代

      小学校時代の私は そこそこ色んな友達と 仲良く過ごしていた 勉強はできる方ではなかったので 授業は苦痛でしかなかった 体育と音楽、図工は得意で とても楽しみだった♪ プール以外ね😅 この時代は先生も厳しく 今なら大問題になるような事も 普通にあった そして、イジメも普通にあり 皆んな順番にハミゴになる ゲームみたいなものだった 私はこの当時から 理不尽な事が許せなくて ハミゴにされると リーダーの子から順番に 周りの子へ 「なんでなん?私なんかした?なぁ!」 と相手が

      • 母の影響

        私の母はなんでも手作りする 手先の器用な人です。 料理はもちろん、洋裁、編み物 お菓子作り、パン作りと 幼少期から母の手作りに 囲まれて育ちました。 物心ついた時から 包丁や針を持たされ 私も気がつけば他の子供達よりも 色々器用に出来ました。 おやつはクッキーや ドーナツ、パン、ケーキなど 母が作ってくれました。 それを見て私もお手伝いしたり 教えてもらって自分で作ってみたり。 母は普段から忙しくしていて 構ってもらう時間があまりなかったので お料理やお菓子作りのお手

        • 父のこと②

          家族の為に必死で働いてきた父 77歳頃だったかなぁ 物忘れが頻繁に増えて 本人も焦っている感じでした。 父は長年タクシー運転手で かなりのキャリアがあり 道にはとても詳しかったのに 道を間違えることが増えてきた。 シルバー人材派遣として 働いていた仕事でも 最終の現金集計が合わず 何回もやり直していたのか 段々と帰りが遅くなっていた。 帰ってきたと思ったら 鍵を掛けるの忘れたかも… と慌てて仕事場に戻ったりと 様子が明らかにおかしかった。 そして、運転免許更新での

          父のこと①

          私の父は昨年2023年3月に 天国へ行ってしまいました。 厳しくてよく怒られたけど なんでも出来るし いざという時は とても頼りになる父でした。 父はとにかく働き者で 私が幼少期の頃は 自宅の工場で下請けの仕事を していました。 工場から聞こえる機械の音 商品を梱包する段ボールを 組み立てる音 トラックのエンジン音 汗だくになりながら 頑張る父の姿が カッコよくて好きだった。 邪魔にならないところで 父の仕事風景をよく見ていたなぁ。 商品の説明書をたたむ作業を 教えて

          父のこと①

          今でも隣で見守ってくれているのがわかる♡

          私はお婆ちゃんん子で 困った時、泣いてる時は すぐお婆ちゃんの所へ行って ギュ〜っと抱きしめてもらい よく慰めてもらった。 いつも優しく味方でいてくれる お婆ちゃんが大好きだった。 幼稚園生活がもうすぐ終わる まだまだ寒さ続く日の夜 お婆ちゃんは突然 天国へ行ってしまった。 幼いながら祖母の死に 直面してかなり動揺し 受け入れる事が出来ない… そしてお通夜が始まり 親戚、近所の人、祖母の知人 沢山の人で家はごった返していた。 夜な夜な飲み食いしている大人達。 部屋の

          今でも隣で見守ってくれているのがわかる♡

          突然の祖母との別れ

          泣き虫で怖がりな幼少期の私も いよいよ幼稚園へ入園🌸 保育所とはまた違う環境で 大丈夫なのだろうか… 幼稚園では近所の子供達が 皆んな通う為、幼馴染がいるので なんとか泣かずに通えた。 他の地域の子供達とも 仲良くなって楽しんでいたと思う♪ 先生も優しくて大好きだった♡ この頃、女の子らしさが芽生え 男の子を意識し始める。 そう、初恋です🥰 好きという感情に戸惑いながら その子と遊ぶとドキドキして 嬉しくて胸がときめいた! 他の女の子と遊んでるのを見ると やきもちもやい

          突然の祖母との別れ

          幼少期の私 パート②

          祖母、父母共に働いていたので 私は保育所へ預けられました。 ここでもやはりギャン泣きで…w 毎朝、母が先生に預けて 急いで去る姿と 先生にギュッと抱っこされて 「おかぁちゃーん😭」と泣き叫んで ジタバタしていたような 記憶があります。 楽しい記憶はほぼないです。 当時の写真は笑顔がなく ふてぶてしい顔で 写っているのが多いです(^_^;) アルバムを見て一番笑えたのは プールでの写真。 皆んなはプールに入り 笑顔ではしゃいでいるのに 私は1人パンツ一丁でプールサイドに

          幼少期の私 パート②

          幼少期は泣き虫だった

          当時、私の家は決して裕福ではありませんでした。 住まいは母方の実家で父はいわいる サザエさんでいうマスオさん。 オンボロ平屋の母屋… ドリフのコントに出て来るような あの木造平屋です。世代がわかる…w そして田舎だから土地は広いので 私が生まれて離れの平屋を父が建てました。後に子ども部屋となります。 今もなお残っており、物置き部屋となってます。 祖父は戦後、母が生まれてすぐ亡くなり 祖母は母の姉叔母と母を1人で育てた パワフル婆さんなのです! 私は3番目の子どもだったので

          幼少期は泣き虫だった

          【MEGUMI この世に生まれる】 197X年 奈良県○○市 U家の次女として生まれる。 △△山ふもとの自然豊かで ひっそりとした小さな集落。 母方の祖母、父母、兄、姉の 6人家族の一員となる。 なんと!私は生まれた時 4000gの大きな赤ちゃんだったのです‼️😳

          【MEGUMI この世に生まれる】 197X年 奈良県○○市 U家の次女として生まれる。 △△山ふもとの自然豊かで ひっそりとした小さな集落。 母方の祖母、父母、兄、姉の 6人家族の一員となる。 なんと!私は生まれた時 4000gの大きな赤ちゃんだったのです‼️😳

          始めてみました! 【私の人生どないなってんの⁉️】 をテーマに 今までの波瀾万丈な日々を 思い出しながら 辛いけど楽しんでる… 自分のリアルな姿を残して 何度も転びながら幸せを掴みに いこうとする人生を 少しずつ書いていきます。 最後は幸せと、豊かさを お届けできることを願って✨

          始めてみました! 【私の人生どないなってんの⁉️】 をテーマに 今までの波瀾万丈な日々を 思い出しながら 辛いけど楽しんでる… 自分のリアルな姿を残して 何度も転びながら幸せを掴みに いこうとする人生を 少しずつ書いていきます。 最後は幸せと、豊かさを お届けできることを願って✨